共通テストを大混乱させたのは誰だ。
<2020年度開始の大学入学共通テストを巡り、政府が国語と数学への記述式問題導入を見送る方向で最終調整していることを受け、県内の高校生や高校教諭からは6日、教育現場を置き去りにしているとして不満の声が上がった。
「入試制度をころころ変えないでほしい」。私立高2年の男子生徒(17)は困惑気味に話す。先月、英語民間試験の導入見送りが決まったばかり。記述式の問題は1年の定期試験から盛り込まれ、対策に取り組んできた。「苦手だったのでラッキー」と思う一方で「入試に何が必要なのか分からなくなってきた」という。県立高2年の女子生徒(16)は「心構えをして頑張ろうと思っていたのに。大人の都合で振り回さないで」と憤りを隠さない。
保護者も気をもむ。高校2年の息子がいる40代の母親は「前々から無理だと言われていたのになぜ押し切ろうとしていたのか。子どもたちが振り回され、先生たちも混乱する。子どもたちのためにならない」と政治への不信感を口にした。
国語の男性教諭は「ひと言で言えば、うんざりという感じ」と断じた。記述式対策に時間を割いてきたが「導入は無理があると思っていた」という。別の高校で数学を教える男性教諭は採点の公平性を心配していた。「延期となれば、安堵(あんど)の気持ちの方が大きい。記述式の開始がいつになるか分からないが、生徒や保護者の理解を十分得た上で検討してもらいたい」と注文をつけた>(以上「長崎新聞」より引用)
「入試制度をころころ変えないでほしい」。「前々から無理だと言われていたのになぜ押し切ろうとしていたのか。子どもたちが振り回され、先生たちも混乱する。子どもたちのためにならない」との声が受験生や受験生を持つ親たちから上がっている、という。共通テストに関する文科省の「改正」の改悪ぶりに怒り心頭のようだ。
そもそも一回のテストで受験生の能力のすべてを評価するのは困難だ。だから共通テストでアラマシの学力を判定し、二次試験の大学が実施する試験で大学が必要とする生徒の適正と学力を見極める、二段階方式になっているのだ。
そこに受験を「利権化」しようとする悪徳政治家がテスト業者とグルになって「改悪」を仕掛けた。後は安倍官邸政治のルーチン、「お仲間」諮問委員会と答申によって粛々と進められただけだ。
だから、そこには何ら検討された形跡すらない。だから記述式の回答を誰が採点するのか、といった基本中の基本の議論が抜け落ちたまま、文科省官僚たちは「ハイハイ、そうですか。ではその通り改悪しようじゃないですか」と開き直って文科行政を放棄した。
それはいかに前川文科政務次官が政治家を諫めようと、「モリ、カケ」疑惑が官邸主導で進められ、官邸の「改竄」と「隠蔽」指示により、すべてが闇に葬られた経験により、彼らは文科官僚たちは沈黙したのだろう。
共通テストの大混乱は官邸主導の愚政に原因がある。それは共通テストの「改悪」をもっともらしい屁理屈を付けて主導した官邸と安倍友政治家の策動に他ならない。
尤もらしい顔をして「中、高、大の十年間も英語を学習して、英語が話せないのは教育の欠陥だ」と批判する評論家たちは学校教育の英語が「翻訳家」や「通訳」の養成機関と勘違いしている大バカ者たちだ。
基本的に学校の英語教育は比較言語学だ。日本語をよりよく知るために英語教育がある。外国言語を習得して国際社会で会話出来るようになるため、というのなら世界で最も多くの人たちが使っているスペイン語か、第二番目に多い中国語を学ぶべきではないか。
そして大学で英語が必要とされるのは学術論文の大半が英語で書かれているため、海外の日本語に翻訳されていない学術論文を読むために英語が必要だからだ。決して学術論文に「ハロー」とか「ヤア」とか書かれていない。日本国民に英会話習得が必要なら英会話学校に学ばべば済む話だ。
そうした議論も何もなく、英検や民間テストを入試の共通テストの代替にする、などといった愚策を断行しようとしていた安倍官邸主導の政治の危険性こそマスメディアは取り上げるべきだ。しかし、そうした議論がマスメディアに全くない。どこまで日本のマスメディアは腐り切ってしまったのだろうか。
英語が話せる者が必ずしも優れた人ではない。英語圏の国では泥棒も殺人犯も英会話が達者だ。詐欺師だって英語を喋っている。少しは英会話礼賛から距離を置いて英語教育と試験制度を考え直してはどうだろうか。
「入試制度をころころ変えないでほしい」。私立高2年の男子生徒(17)は困惑気味に話す。先月、英語民間試験の導入見送りが決まったばかり。記述式の問題は1年の定期試験から盛り込まれ、対策に取り組んできた。「苦手だったのでラッキー」と思う一方で「入試に何が必要なのか分からなくなってきた」という。県立高2年の女子生徒(16)は「心構えをして頑張ろうと思っていたのに。大人の都合で振り回さないで」と憤りを隠さない。
保護者も気をもむ。高校2年の息子がいる40代の母親は「前々から無理だと言われていたのになぜ押し切ろうとしていたのか。子どもたちが振り回され、先生たちも混乱する。子どもたちのためにならない」と政治への不信感を口にした。
国語の男性教諭は「ひと言で言えば、うんざりという感じ」と断じた。記述式対策に時間を割いてきたが「導入は無理があると思っていた」という。別の高校で数学を教える男性教諭は採点の公平性を心配していた。「延期となれば、安堵(あんど)の気持ちの方が大きい。記述式の開始がいつになるか分からないが、生徒や保護者の理解を十分得た上で検討してもらいたい」と注文をつけた>(以上「長崎新聞」より引用)
「入試制度をころころ変えないでほしい」。「前々から無理だと言われていたのになぜ押し切ろうとしていたのか。子どもたちが振り回され、先生たちも混乱する。子どもたちのためにならない」との声が受験生や受験生を持つ親たちから上がっている、という。共通テストに関する文科省の「改正」の改悪ぶりに怒り心頭のようだ。
そもそも一回のテストで受験生の能力のすべてを評価するのは困難だ。だから共通テストでアラマシの学力を判定し、二次試験の大学が実施する試験で大学が必要とする生徒の適正と学力を見極める、二段階方式になっているのだ。
そこに受験を「利権化」しようとする悪徳政治家がテスト業者とグルになって「改悪」を仕掛けた。後は安倍官邸政治のルーチン、「お仲間」諮問委員会と答申によって粛々と進められただけだ。
だから、そこには何ら検討された形跡すらない。だから記述式の回答を誰が採点するのか、といった基本中の基本の議論が抜け落ちたまま、文科省官僚たちは「ハイハイ、そうですか。ではその通り改悪しようじゃないですか」と開き直って文科行政を放棄した。
それはいかに前川文科政務次官が政治家を諫めようと、「モリ、カケ」疑惑が官邸主導で進められ、官邸の「改竄」と「隠蔽」指示により、すべてが闇に葬られた経験により、彼らは文科官僚たちは沈黙したのだろう。
共通テストの大混乱は官邸主導の愚政に原因がある。それは共通テストの「改悪」をもっともらしい屁理屈を付けて主導した官邸と安倍友政治家の策動に他ならない。
尤もらしい顔をして「中、高、大の十年間も英語を学習して、英語が話せないのは教育の欠陥だ」と批判する評論家たちは学校教育の英語が「翻訳家」や「通訳」の養成機関と勘違いしている大バカ者たちだ。
基本的に学校の英語教育は比較言語学だ。日本語をよりよく知るために英語教育がある。外国言語を習得して国際社会で会話出来るようになるため、というのなら世界で最も多くの人たちが使っているスペイン語か、第二番目に多い中国語を学ぶべきではないか。
そして大学で英語が必要とされるのは学術論文の大半が英語で書かれているため、海外の日本語に翻訳されていない学術論文を読むために英語が必要だからだ。決して学術論文に「ハロー」とか「ヤア」とか書かれていない。日本国民に英会話習得が必要なら英会話学校に学ばべば済む話だ。
そうした議論も何もなく、英検や民間テストを入試の共通テストの代替にする、などといった愚策を断行しようとしていた安倍官邸主導の政治の危険性こそマスメディアは取り上げるべきだ。しかし、そうした議論がマスメディアに全くない。どこまで日本のマスメディアは腐り切ってしまったのだろうか。
英語が話せる者が必ずしも優れた人ではない。英語圏の国では泥棒も殺人犯も英会話が達者だ。詐欺師だって英語を喋っている。少しは英会話礼賛から距離を置いて英語教育と試験制度を考え直してはどうだろうか。