小沢一郎総理待望論。

立憲民主党の枝野幸男代表は5日午後、国民民主党の玉木雄一郎代表と国会内で党首会談を行い、立憲の衆院会派入りを提案した。玉木氏は「ありがたい提案だ。ただ、衆参両院での統一会派が必要だ」と応じた。国民民主側は立憲に近く正式に回答する。
 立憲は衆院会派「社会保障を立て直す国民会議」代表の野田佳彦前首相、社民党の又市征治党首にも会派入りを提案。野田氏は「歓迎したい」と前向きの姿勢を示し、旧民進党勢力が会派として再結集する見通しとなった。一方、又市氏は参加を見送る考えを伝えた。
 枝野氏は記者団に「衆院でともに戦ってもらいたい。数の上でも、より強力な野党第一会派をつくりたい」と語った。従来は「永田町の数合わせにはくみしない」と述べていたが、5日は「フェーズが変わった」と説明した。
 方針転換の背景には、先の参院選の結果に党内で不満がくすぶっていることや、国民民主の参院側に日本維新の会との統一会派結成の動きが出ていることがあるとみられる>(以上「時事通信」より引用)


 反省なきところに前進はない。民主党は菅、野田二代表の下で「第二自民党」へ大きく舵を切って変節した。それが民主党が瓦解した大きな原因だ。なぜそうなったのか、検察とマスメディアが「陸山会事件」をデッチ上げて「政治とカネ」プロパガンダ攻撃を連日執拗に繰り返して、民主党政権樹立の立役者・小沢一郎氏を政権首脳から排除したからだ。
 残った連中の多くは政治権力も財務官僚の野望も何も知らない木偶ばかりだった。だから「財政規律」論と「グローバル化」論にコロリと騙されてしまった。そして小沢一郎氏が掲げた「国民の生活が第一」という反・グローバル化の政治を反故にして捨て去った。だから民主党政権を支持した国民はソッポを向いたのだ。初心者マークの第二自民党よりも本家本元のじみんとうのほうがよいにきまっているからだ。

 今回の参議院選挙で「れいわ新撰組」の躍進が政党ゴッコを繰り返していた似非・政治家たちの尻を叩いたようだ。まさしく山本太郎氏こそ核心的・野党だ。
 安倍自公政権が推進して来たグローバル化は日本を根底から破壊している。このままでは日本は貧困化と格差拡大の悲惨な社会に転落する。グローバル化社会の先進国・米国を見れば、グローバル化に突き進む日本の明日がどうなるか一目瞭然ではないか。もはや有余はならない。

 野党は数合わせではなく、真摯な反省の上に立って、日本の国家と国民のために死力を尽くす必要がある。その中核的な政治理念は「国民の生活が第一」でなければならない。安倍自公政権に与する幇間・評論家たちは「国民の生活が第一」の政治をポピュリズムと蔑むが、国民を貧困化させ日本を衰亡させるグローバル化と決別する政策がポピュリズムだと評するなら、グローバル化は現代の「マキャヴェリズム」だと評すしかない。ただし中世のマキャヴェリズムが国家利益のための政治がすべてに優先するとしていたのに対して、現代のマキャヴェリズムは一握りの金持ちや投機家たちの利益を最優先するために機能する、IT技術を前提とした単一世界という仕組みに過ぎない。つまり資本や投機資金による新・植民地主義がグローバル化だ。

 そうしたグローバル化の潮流が世界で荒れ狂っていることを理解しないで、政治のフェーズが変化した、という程度の認識しか枝野氏が持っていないとしたら、野党の病理は深刻だ。彼らは哲学なき実利主義に過ぎないことになる。そんな政治理念で政権運営は出来ない。
 やはり「国民の生活が第一」を最初に掲げた小沢一郎氏を担ぐしかない。彼以外の誰が頑迷な財務省や日本支配から一歩も退こうとしない「米国軍産共同体」のエージェントたちとやり合えるというのだろうか。安倍氏も麻生氏も財務官僚にコロッとやられて財政拡大路線を政権半年と経たずして引っ込めたではないか。その後は消費増税10%へ一直線だ。その延長線上にあるのは深刻なデフレ経済に沈む日本だ。
 衰退する日本と貧困化する国民を救うのは反・グローバル化の「国民の生活が第一」の政治だけだ。小沢一郎総理待望論をどこまでも主張し続けるしかない。

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