マスメディアの自由度を測るモノサシは「山本太郎氏」の露出度だ。
<(山本太郎氏は)もう地上波テレビ局からお呼びはかからないだろう。日本政治のタブーに触れてしまったのだから。
前参院議員の山本太郎がけさ、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」にスタジオ生出演した。
今回の選挙での躍進や原発問題などについて、番組コメンテーターと話した後、つぎのように締めくくった-
「この国の20年―30年の間というのは、どのような政治が行われてきたかというと、完全に皆さんの生活を踏みつけて企業側にいかに利益を横流しできるかということの連続でした」
「例えば、大企業に対して大減税、金持ちに対して大減税。その上に皆さんの働き方を壊して来た。昨年の末に決まったのは何か?大量の外国人を安い労働力としてこの国に招き入れるということ」
「これによって首が絞まるのはだれか?皆さんなんです。今の政治は皆さんへの裏切りの連続でしかない。それを変えていける。まずは野党で手をつないで政権交代を目指したいと思います」。
大企業がスポンサーのテレビ局で言ってはならないことを、山本太郎は言ってのけたのだ。
経団連の下請けと堕した自民党政治への批判は、テレビ局では御法度である。山本の発言は事実上の放送事故だ。
番組中、「政権を取りに行く」「総理を目指す」と宣言した山本は、野党共闘について聞かれると、「消費税減税であれば手を組める」とした。
山本に秋波を送るのは共産党の志位委員長と国民民主党の玉木代表だ。
「消費税廃止を目指す我が党の方針には微塵のゆるぎもない」(小池晃書記局長)とする共産党は、消費税減税にすんなり納得するだろう。
連合に支えられる国民民主は、簡単に消費税減税とはいかない。玉木代表は24日、定例記者会見で田中の質問に次のように答えた―
「消費税を廃止するのであれば代替財源を考えていかなければいけないので、公約上の議論をすれば、廃止することだってありうる」。
財源論で消費税を正当化するのは旧民主党(立憲、国民)の常套手段だ。
連合の相原康伸事務局長は参院選挙直前、自民党に「消費税を10%に上げるよう」陳情した。
玉木代表が山本太郎を抱き込みたいからといって、おいそれとは消費税減税とは言えないのだ。
山本太郎が地上波に出たからと言って喜ぶのは早い。目指すのは「貧乏人が死なずに済む政治」が始まることだ>(以上「BLOGOS」より引用)
経団連の下請けと堕した自民党政治への批判は、テレビ局では御法度である、そうだ。報道の自由など全くない、と上記引用したBLOGOS記事は述べている。由々しき事態ではないだろうか。
連合の相原康伸事務局長は参院選挙直前、自民党に「消費税を10%に上げるよう」陳情した、という。それが労働組合幹部のやることなのか。なぜ日本の労働者たちは連合幹部に対して抗議しないのだろうか。
玉木代表は24日「消費税を廃止するのであれば代替財源を考えていかなければいけないので、公約上の議論をすれば、廃止することだってありうる」と定例記者会見で述べた。BLOGOSは「財源論で消費税を正当化するのは旧民主党(立憲、国民)の常套手段だ」と玉木氏を批判している。
私も民主党を批判するし、「財源が~」と財政論に逃げ込む国民党を批判する。なぜ彼らは財政論の呪縛から逃れられないのか、それは連合が「財政論」を採っているからだ。つまり財務省とマスメディアに洗脳された愚かな労働貴族・幹部が連合に居座っているからだ。彼らは決して働く国民の味方ではない。
なぜ消費減税の財源は「経済成長だ」と言えないのだろうか。パイがほとんど変わって来なかった日本経済で税の取り分が増えれば国民の取り分が減るのは簡単な算数だ。
だから税の取り分を貧困層にも等しく減税する消費税で実現して、まずは経済成長しなければ何事も始まらない。だから消費減税の財源は経済成長の果実だ、と言明すれば良いだけだ。
政治は誰のためにあるのか。財務省のためではない。財務省は間違っても国家を代表してなどいないし、日本の国家収支を代表もしていない。財務省は政府収支を担っているに過ぎない。しかも政府・日銀は連結決算では一体化するものでしかない。
つまり政府収支を家計と同じに考えてはならない。そこが国民党が伸び悩んだ根本的な原因だ。「家計第一」とは「財務省第一」とダブって見える。なぜ「国民の生活が第一」としなかったのだろうか。「家計第一」なら家庭を営んでいない独り者は関係ないと思うではないか。
それにしても山本太郎氏の言葉は明快だ。これほどスッパリと問題点を切って見せる政治家は珍しい。ツカミのように土地の方言で挨拶する「政治芸者」とはワケが違う。山本氏が今後どの程度テレビなどのマスメディアに露出するのか、国民は注目する必要がある。それこそが日本のマスメディアの自由度だからだ。