交通安全策が犠牲者という人柱を必要とするのはなぜか。

春の全国交通安全運動に合わせ、全国の警察本部は16日朝、警察官計約1万2500人を動員し、通学路で交通違反の一斉取り締まりを実施した。今月8日には大津市で保育園児ら16人が死傷した事故が起きたばかりで、危険な違反に対する取り締まりを強化した。警察庁によると、道路交通法違反容疑などで計1万360件を摘発した。
 一斉取り締まりは通学時間帯の午前7~9時に、全国の通学路約3000か所で行われた。違反の内訳は、車両の進入が禁止されている時間帯にスクールゾーンに入るなどの「通行禁止違反」が5685件(54・9%)と最も多く、速度違反が1798件(17・4%)で続いた。逮捕者は3人で、速度違反などだった>(以上「読売新聞」より引用)



 人柱が立たないと交通安全施設ができない、といわれている。今回も滋賀県で二人の保育園児が交差点の交通事故に巻き込まれて亡くなったのが切っ掛けとなって全国的な交通安全運動になった。
 全国の地方自治体で通学路の安全点検や交差点の歩行者を守る防御策の設置などが進んでいるようだ。しかし、なぜ痛ましい交通事故が起きる前にそうした安全施設が設置されなかったのだろうか。

 事は簡単だ。高速道路の分岐点などに設置されている水の入ったプラスティック製の黄色い筒を自動車が舗道へ飛び込まない間隔で並べれば良いだけではないか。滋賀県の交差点でたったそれだけの事をしていれば、園児たちは死なないで済んだ。
 高齢者が交通事故を度々起こすから「免許返納」運動にマスメディアは力を入れていたが、滋賀県の園児死亡事故の原因となった女性が50台だったため、「高齢者が~」というマスメディアの大合唱にはならなかった。

 これまでも「高齢者が~」と大合唱する前に、マスメディアが交通安全対策を施設面から講ずべきとのキャンペーンを張っていれば、あるいは交差点の安全確保のためにプラスティック製の黄色い筒を設置していたかもしれない。交通事故を起こすのは必ずしも高齢者だけではない。
 しかも若者もいずれは高齢者になる。高齢者を目の敵にする「高齢者ドライバー狩り」キャンペーンはいずれ若者にも跳ね返って来る。その時に「高齢者だけが交通事故を起こすのではない」と正論を述べても、社会が「高齢者ドライバー狩り」を容認したら、その流れはちょっとやそっとでは止まらない。

 レジ袋悪説が流れればごみ袋のビニールの方が害が大きくても、レジ袋追放の流れは止まらない。一度原発は「安価で安全な発電装置」だというキャンペーンが成功したら、福一原発事故で原発のオゾマシさに気付いても再稼働への流れが止まらない。
 高齢者ドライバー狩りの流れは確実に高齢者を追い詰めている。高齢者にとって住みづらい社会になりつつある。なぜ交通事故は自動車が起こすもので、自動車そのものの安全性を高めることと、鉄の塊が疾走している直ぐ傍を人が歩く、という狂気じみた交通体系に於ける「安全確保」を怠っている現状をすべてドライバーの責任にしている、という行政や自動車企業の無責任さを一切追求しないマスメディアの常識は現代の特異性でしかない、ということになぜ気づかないのだろうか。

 人柱が立たないと安全がなおざりにされたまま、という行政のあり方は大いに反省すべきだ。そして自動車そのものの安全対策が遅れている現状にも、消費者たる国民は腹を立てるべきだ。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。