運転者の全知全能を前提とする現行の自動車は危険だ。

<26日午後9時25分ごろ、東京都千代田区丸の内の東京駅八重洲口の歩道に、60代の男性運転のタクシーが乗り上げ、40代の女性と接触した。女性は軽傷という。男性は事故当時、意識がなかったという情報もあり、警視庁が事故原因を調べている。
 丸の内署によると、タクシー乗り場から歩道に進入し、タクシーを待っていた女性をかすめた。タクシーに客は乗っていなかった。車の状況などから速度はあまり出ていなかったとみられる。
 タクシーは金属製の柵をなぎ倒して、駅舎近くで停止していた。バスで山形市に帰る途中だった大学生の男性(19)は「プロが運転しているはずなのに、怖い」と話した>(以上「毎日新聞」より引用)


 連日のように上記記事のように「事故」が全国各地で起きている。それも「プロ」といわれるバスやタクシーなどの運転手による事故だ。
 およひ人は常に「常態」でいることは出来ない。加齢とともに動体視力は低下し、反射的な運動能力も低下する。それ以外にも「心配」や「怒り」などの激しい感情で状態を保てなくなるのも生き物としての人の限界だ。当然、運転中に突然の発作に襲われることもありうる。

 そうした極めて「安定性を欠く」人に鉄の塊を路上で疾駆させるすべての権能を与える「自動車運転」は極めて「運転者」にとって過酷なものだと認識すべきだ。ましてや運転が楽しい、などというのは人としての限界を認識しない愚かな発言だ。
 自動車には最低でも「自動停止装置」の設置を義務付けるべきだ。現行の人と自動車のあり方は鉄の塊が疾駆する危険地帯と無防備な人が歩く歩道が隣接している、あるいは交差している、という安全施設とは程遠いものだ。それは馬車の通り道と人が歩く歩道とが分離した中世から全く進歩していない、遅れに遅れた人の暗黒史だ。

 未来の都市設計学者が19世紀から20世紀にかけて展開された急速な自動車の生産と、それが疾駆する環境が全く中世然としたものだと知ったなら仰天して腰を抜かすに違いない。人の常識とはそういうものだ。
 最低でも「自動停止装置」の設置をすべての自動車に義務付けるべきだ。それほど困難な技術ではないはずだ。人や障害物を認識するセンサーと速度制御をプログラムされた電子回路でブレーキ制御すれば済む話だ。
 全知全能の権限を運転者に委ねる現在の自動車は全くの不完全な「人」という生き物に「全知全能」が常に正常に機能しているとの前提に依存している。しかし、それは誤りだ。

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