「令和」が「うるわしく平和」とはキラキラ・ネームのこじつけか。

新元号「令和」の考案者との見方が専門家の間で浮上している中西進大阪女子大元学長が、新元号発表後、著書を出版する筑摩書房に対して「万葉集は令しく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントを寄せていたことが分かった。同社が8日、明らかにした。
 筑摩書房によると、令和発表後に考案者として中西氏の名前が取り沙汰されると、著書「万葉の秀歌」(ちくま学芸文庫)への問い合わせが殺到した。1万部の重版を決め、2日に中西氏へ連絡したところ、同日中にファクスでコメントが届いたという>(以上「ロイター」より引用)


 何処をどう解釈したら新元号「令和」が「令(うるわしく)平和に」という意味になるのだろうか。果たして「令」に「うるわしい」という意味があっただろうか。
 「令」を「りょう」と読むと「律令制度」の「令」となり法律の「おきて」でしかない。「令」を「れい」と読むと「1.、いいつけ。いいつける。2.、相手に関係ある人を尊敬して言う語。3.、よい。ほめことばとしても用いる。4.、長官。5.、もし。たとい」となっている。
 「令」を「うるわしい」と解釈させるには第三番目の意味を拡大解釈するしかないが、第三番目の意味として例示されているのは「令名・巧言令色」といった何かと比較して「良い」という程度の「誉め言葉」であって、積極的な「うるわしい」という状態を示す言葉ではない。

 そうした言葉の定義は国語学者に従うべきであって、暴走族が自らの団体を命名する際の「キラキラ・ネーム」のようにこじつけてはならない。それが元号ともなれば、なおさらのことだ。
 「令和」は素直に字面通りに解釈すれば「命令と調和」でしかない。中西某の「万葉集はうるわしく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントに異議はないが、そこに「令」の文字を使うのには無理があるのではないか。

 歴史を後代から見れば元号はそれなりにとうじの空気を醸している。「安政の大獄」とはまさしく政治を安んずるために反体制的な思想家を弾圧した時代を反映している。元治が幕府滅亡により「元通りに天皇親政の政治」に復す討幕戦争の前哨戦というべき蛤御門の変が起きている。
 それでは「令和」により日本は統制国家に変貌するのだろうか。残念なことに、その兆しはある。共謀罪により国民は監視下に置かれ、政府は国民のビッグ・データを手中に入れようとしている。「令和」が字面通りの「命令と調和」の時代にならないように、国民は政治に無関心であってはならないし、世論操作しようとするマスメディアの嘘を見抜かなければならない。

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