小沢氏のいる場所が自公政権に代わり得るマトモな野党だ。
<自由党の小沢一郎代表(76)はイライラを隠さなかった。3月28日、国民民主党の玉木雄一郎代表(49)と会談した際のことだ。
国民主と自由党との合流が伸びている。四月末までに結論が先送りになるなど、迷走しているようだ。
上記記事によると迷走の原因は政策の相違というよりも、小沢アレルギーにあるという。全く馬鹿げた理由で合流が先送りされているとは政治家が何たるかを国民主の国会議員一人一人に問わなければならない。
もとより政治家は国家と国民のために働く職業だ。個々人が職業を最優先して、どうしたら「落選しないか」と身の振り方を最優先に考えているなら、政治家というよりも政治を稼業とする「政治屋」と呼ぶしかない。
小沢氏の自由党と合流する意義は「消費増税」に反対して民主党を離党した小沢氏たちの仲間の「自由党」と合流することで、国民主の面々が「消費増税」を党是としたことに対して反省することになる。
デフレ下経済から脱却するのを基本的な政治方針とすべき政党が「消費増税」に走ったのは不明というよりも無知蒙昧の誹りを免れない。消費増税は政策としてインフレ経済をデフレ化へ振れさせる効果を持つ「総需要抑制策」に他ならないからだ。
バブル崩壊以後に突入した暗黒の20年間はデフレ下の20年間でもあった。その間、日本のGDP成長率は1%にも満たない超低空飛行を続け、世界の平均成長率の半分にも満たない低成長率を続けたため世界経済に占める地位は相対的に転落し続けてきた。つまり日本は世界から置き去りにされ衰退の一途をたどって来たのだ。
テスターの針が僅かに振れる程度の電流でも、電気が流れている、と胸を張るのはお門違いだ。日本が経済大国として経済を維持するには最低でも世界の平均成長率程度の経済成長を維持しなければならない。
そのためには民主党政権下でも経済成長策を積極的に打ち出さなければならなかった。しかし小沢氏を排除した民主党の幹部たちはTPP参加や消費増税などといった強力なデフレ化策を打ち出した。当初の「国民の生活が第一」の政治とは全く見当違いの政策へと舵を切って、民主党を支持していた人たちの離反を誘い、自公政権復活の手助けをした。
そうした過去の反省なくして、こまごまとした敵失に喚起して国会でいくら追及しても去った支持者たちが旧・民主党の面々の許に戻るわけではない。基本的な「国民の生活が第一」の政策から乖離した「グローバル化」政策へ舵を切ったままの野党にかつて民主党を支持した層の支持が戻るわけがない。
なぜ、そうした基本的なことが理解できないのだろうか。国民主の政治家の面々はそれほど政治的な視野が「微視的」な視野狭窄症に陥っているのだろうか。なぜ大局的な政治視野から小沢氏の掲げた「国民の生活が第一」の政治こそが現代日本で最も求められる政治理念だと理解できないのだろうか。
野党連合の核となり得るのは、ゆえに小沢氏とその仲間たちの自由党しかないのだが、そうした簡単なことすら理解できない政治家が政界を右往左往している。そんな基本理念すら解らない愚かな政治家諸氏はさっさと政界から退くべきだ。国民にとってマトモな野党勢力が結集されない不幸をこれ以上長引かせてはならない。
玉木氏は国民主が割れることも恐れず、小沢氏の自由党と早急に合流すべきだ。そして「国民の生活が第一」の政治理念を再び掲げて、新生「民主党」の看板を掲げるべきだ。小沢氏がいる政党こそが自公政権と対峙できるマトモな野党だから、恐れず小沢氏の許に結集すべきだ。
統一地方選後の4月末まで合流の結論を先送りすることが決まり、玉木氏は会談後、「小沢氏は怒っていないのか」と問い詰める記者団に「そりゃ、そうだよ」と認めざるを得なかった。そもそも2人は1月下旬の段階で1カ月後の両党合併で内々に合意していたのに、国民内にある「小沢アレルギー」で、党内手続きが延び延びになっているのだ。
平野博文幹事長や古川元久代表代行ら国民の幹部には、玉木氏より当選回数を重ねる先輩が少なくない。ただ、そういった幹部も、30年前に自民党幹事長を務めた小沢氏から見れば赤子のようなものだけに、警戒感が強い。特に平野氏は、合流に向けた協議の責任者だが、「党内の慎重論を理由に意図的に協議を遅らせている」(政治部記者)との見方がもっぱらだ。国民の関係者はいう。「平野氏らは、国民が自民党への対抗勢力になれる見込みがない今、野党幹部としてぬるま湯に浸かっている方が、心地よいと思っている」。
しかし、若手の間には逆に小沢氏という“劇薬”を利用したい、という声がある。
3月13日、東京・赤坂の居酒屋で開かれた旧民主党の同窓会。玉木氏と同じ2009年初当選組から、国民や立憲民主党、無所属の約10人が集まった。前半は和気藹々だったが、玉木氏が小沢氏とのテレビ共演のために中座すると、国民の面々から解党論が噴出した。
後藤祐一政調会長代行は「小沢氏が入って党が割れ、解体されればいい。そうすれば立憲に行きやすい」と反自民票を集めやすい立憲に移りたい本音を隠さない。岸本周平選対委員長は「玉木の指導力が足らなくてすみません」と笑いを取った後、「小沢氏が入れば党は壊れる。その後、10人程度で(保守系の)新グループを作り、自民党と連立したい」と吐露。岸本氏は小泉政権下では竹中平蔵経済財政担当相のブレーンを務めるなど自民党と縁があり、「将来的には、自民の応援で和歌山県知事選に出たいのでしょう」(政治部デスク)と解説する向きもある。
2度にわたって自民党を下野させ、常に平成の政局の中心にいた小沢氏。だが平成の終わりに彼に求められているのは、最早「壊し屋」という異能だけのようだ>(以上「文春オンライン」より引用)
国民主と自由党との合流が伸びている。四月末までに結論が先送りになるなど、迷走しているようだ。
上記記事によると迷走の原因は政策の相違というよりも、小沢アレルギーにあるという。全く馬鹿げた理由で合流が先送りされているとは政治家が何たるかを国民主の国会議員一人一人に問わなければならない。
もとより政治家は国家と国民のために働く職業だ。個々人が職業を最優先して、どうしたら「落選しないか」と身の振り方を最優先に考えているなら、政治家というよりも政治を稼業とする「政治屋」と呼ぶしかない。
小沢氏の自由党と合流する意義は「消費増税」に反対して民主党を離党した小沢氏たちの仲間の「自由党」と合流することで、国民主の面々が「消費増税」を党是としたことに対して反省することになる。
デフレ下経済から脱却するのを基本的な政治方針とすべき政党が「消費増税」に走ったのは不明というよりも無知蒙昧の誹りを免れない。消費増税は政策としてインフレ経済をデフレ化へ振れさせる効果を持つ「総需要抑制策」に他ならないからだ。
バブル崩壊以後に突入した暗黒の20年間はデフレ下の20年間でもあった。その間、日本のGDP成長率は1%にも満たない超低空飛行を続け、世界の平均成長率の半分にも満たない低成長率を続けたため世界経済に占める地位は相対的に転落し続けてきた。つまり日本は世界から置き去りにされ衰退の一途をたどって来たのだ。
テスターの針が僅かに振れる程度の電流でも、電気が流れている、と胸を張るのはお門違いだ。日本が経済大国として経済を維持するには最低でも世界の平均成長率程度の経済成長を維持しなければならない。
そのためには民主党政権下でも経済成長策を積極的に打ち出さなければならなかった。しかし小沢氏を排除した民主党の幹部たちはTPP参加や消費増税などといった強力なデフレ化策を打ち出した。当初の「国民の生活が第一」の政治とは全く見当違いの政策へと舵を切って、民主党を支持していた人たちの離反を誘い、自公政権復活の手助けをした。
そうした過去の反省なくして、こまごまとした敵失に喚起して国会でいくら追及しても去った支持者たちが旧・民主党の面々の許に戻るわけではない。基本的な「国民の生活が第一」の政策から乖離した「グローバル化」政策へ舵を切ったままの野党にかつて民主党を支持した層の支持が戻るわけがない。
なぜ、そうした基本的なことが理解できないのだろうか。国民主の政治家の面々はそれほど政治的な視野が「微視的」な視野狭窄症に陥っているのだろうか。なぜ大局的な政治視野から小沢氏の掲げた「国民の生活が第一」の政治こそが現代日本で最も求められる政治理念だと理解できないのだろうか。
野党連合の核となり得るのは、ゆえに小沢氏とその仲間たちの自由党しかないのだが、そうした簡単なことすら理解できない政治家が政界を右往左往している。そんな基本理念すら解らない愚かな政治家諸氏はさっさと政界から退くべきだ。国民にとってマトモな野党勢力が結集されない不幸をこれ以上長引かせてはならない。
玉木氏は国民主が割れることも恐れず、小沢氏の自由党と早急に合流すべきだ。そして「国民の生活が第一」の政治理念を再び掲げて、新生「民主党」の看板を掲げるべきだ。小沢氏がいる政党こそが自公政権と対峙できるマトモな野党だから、恐れず小沢氏の許に結集すべきだ。