沖縄県民投票結果を政府は尊重せよ、それが民主主義だ。
<沖縄県名護市辺野古の新基地建設に反対するオール沖縄会議は16日午後2時、「土砂投入を許さない! ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める3・16県民大会」を那覇市おもろまちの新都心公園で開催した。日本政府に対し、県民投票の民意を尊重し、辺野古新基地建設を断念するよう訴えるとともに、すでに辺野古の海に投入した埋め立て土砂の撤去、オスプレイの配備撤回、普天間飛行場の即時閉鎖と返還などを求めた。
主催者発表で1万人超が参加した。
オール沖縄会議の稲嶺進共同代表は「このような県民大会を何度開催し、県民の意思を示さなければならないのか。ワジワジーする。2月の県民投票で民意を示したつもりが、防衛相はその結果が出る前から工事を続行するつもりだった。そんなばかな話があるのか」と憤った。
高里鈴代共同代表は「県民の示してきた民意を一顧だにせず、政府は工事を強行している。私たちはこの地点に立って何をすべきか、どう行動するかを改めて考えたい」と呼び掛けた。
オール那覇の会共同代表の城間幹子那覇市長は「翁長雄志前知事はヌチカギリチバラナヤーサイと言っていた。魂の言葉であり、命ある限りぶれることのない信念を貫く強い覚悟を感じた。次は私たちが覚悟を示す番だ」と語った。
謝花喜一郎副知事は玉城デニー知事のあいさつ文を代読し、「辺野古反対の民意は過去2回の知事選などでも示されたが、県民投票で辺野古埋め立てに絞った民意が初めて示され、極めて意義がある。辺野古が唯一と政府がこだわることこそ、普天間の固定化につながる。私は辺野古埋め立て反対の民意を尊重し、断念することまで揺らぐことなく闘い続ける。民主主義の力を信じ頑張ろう」と話した。
大会決議では、県民大会の結果を無視して工事を強行する政府に対し「民主国家として恥ずべき行為で、断じて許すことはできない」と批判。国土面積0・6%の沖縄に全国の米軍専用施設面積の7割が集中する状況を「異常事態」と指摘し、「政府が負担軽減を言うならオスプレイの配備を撤回し、世界一危険な普天間飛行場は即時閉鎖・返還すべきだ」と求めている。
2014年12月の翁長前知事の就任以降、辺野古新基地建設に反対する県民大会は、昨年8月に次いで4度目で、昨年10月の玉城知事の就任以降では初めてとなる>(以上「沖縄タイムス」より引用)
民の声を聴くのが民主主義だ。政府が決めたことを強行するのが「主権在民」ではないはずだ。
辺野古沖埋め立て工事の許可は確かに「仲井眞元県知事」が出した。しかし仲井眞元知事も「辺野古移設反対」の立場で当選した知事で、しかも任期切れ寸前に「最後っ屁」のような形で県民を裏切って「公有水面埋め立て」許可を政府に出した。それを機に政府が辺野古沖埋め立て工事に着手した。
県知事が許可して埋め立て工事が始まったものなら、県知事が「許可」を取り消したら埋め立て工事は止まるはずだが、前任者の翁長氏が「許可取り消し」措置を行っても、政府は「許可取り消し無効」の訴えを裁判所に提訴して、政府の言い分が通っている。
日本の司法は狂っているとしか言い様がない。原発再稼働に関しても「活断層が原発地下に隠れているかも知れない」と提訴しても、「活断層があることを証明」出来ないから再稼働を認めるという。むしろ「活断層がないことが証明できないから再稼働は認められない」とする方にこそ合理性がある。
公有水面埋め立て許可が県知事権限だというのなら、それを取り消すのも県知事権限ではないか。なぜ司法判断が入る余地があるのだろうか。余地があるとするなら、公有水面埋め立て許可を出さない知事に対して、政府は「埋め立て許可を出すべきだ」と提訴すれば良かっただろう。なぜ当時の仲井間知事に「許可」を迫ったのだろうか。
そこに法の一貫性がない。日本は法治国家だと多くの国民が思っているが、実はそうではないようだ。政府による「人治国家」だと考えた方が良い。つまり政府こそが憲法であり、法律だ、とする法治国家の放棄が堂々とこの国の司法で行われている。この国の司法も政府と同様に腐り切っている。
圧倒的多数の沖縄県民が何度「辺野古移設反対」を訴えでも、それは政府に聞こえない、というので民主主義が成立するのだろうか。国防は政府の専権事項だ、として退けているが、辺野古に米軍基地を造ることと日本の国防との間にいかなる因果関係があるというのだろうか。
そもそも米軍は日本の防衛のために日本国内の基地に駐留しているのだろうか。米軍は米国の防衛のためと米国の戦争のために日本国内の基地を占有し、空域を占有し地位協定により日本を「治外法権化」している。つまり先の大戦以後ずっと日本を占領しているに過ぎない。そうした米国による占領政策を維持しているのが日本政府だ。
極東の軍事的緊張関係を作り出している中国の軍事巨大化も、北朝鮮の核開発も、米国が絡んでいる。米国は決して世界の平和など望んでいない。それはロシアも中国も同じだ。
軍事超大国として、世界の二百近い国々に君臨して、「国連=戦勝国クラブ」が世界の主導権を握り続けるには世界が平和であってはならないからだ。常に核戦争の危機を演出していなければ、他の世界の二百近い国々が「戦勝国クラブ」を必要としなくなるからだ。
つまり世界は「戦勝国クラブ」の厚かましくも「安全保障理事会」の常任理事国を自任している国々によって支配されている。もっと厳密にいえばそれら常任理事国の「軍産共同体」が核戦争の危機を梃子にして世界を支配している。
いわばプロレス興業のような「戦争ごっこ」で世界を核戦争の陰鬱な影で常に覆って、「プロレス」のように戦勝国同士は決して戦わない、代理戦争を常に世界の何処かで「演出」して、戦勝国とは無縁な多くの人たちに艱難辛苦の目に遭わせ、命を虫けらのように奪って莫大な利益を手にしている。
そうした戦勝国クラブの「プロレスごっこ」の一環に、沖縄が組み込まれている。いや沖縄だけではない、日本国民のすべての命が核戦争の危機の瀬戸際に引き立てられて、深い谷間を覗かせられている。それが北朝鮮の核とミサイル開発だ。それを利用して安倍自公政権は「国難危機突破」選挙と銘打って大勝した。まさしく戦勝国クラブの世界戦略の手法を真似た選挙だった。
そして今も、沖縄に大量の米軍が駐留していなければ、中国が大挙して占領軍を差し向ける、と脅す軍事評論家がいる。なんと愚かな連中だろうか。彼らが占領するのはせいぜい無人の岩礁でしかなく、そこを埋め立てて軍事基地化するのが精一杯だ。中国に兵站を維持するための日本の自衛隊を上回る海軍も空軍もない。それよりも中国共産党員の懐を潤さない軍事侵攻に、習近平一派が乗り出すわけがないではないか。
日本国憲法で「主権在民」が民主主義の基本だと定められている。憲法は政権・権力者を縛るための、国民のためのものだ。それが先の大戦で敗北し、反省した日本国民の総意ではなかったか。
政府は沖縄県民投票の結果を受け止めて、埋め立て工事を直ちに中止し、辺野古の海を原状復帰に努めるべきだ。そして普天間基地の米軍には馬毛島への移転かグアムへお引き取り願うか、のいずれかしかないと打診すべきだ。
主催者発表で1万人超が参加した。
オール沖縄会議の稲嶺進共同代表は「このような県民大会を何度開催し、県民の意思を示さなければならないのか。ワジワジーする。2月の県民投票で民意を示したつもりが、防衛相はその結果が出る前から工事を続行するつもりだった。そんなばかな話があるのか」と憤った。
高里鈴代共同代表は「県民の示してきた民意を一顧だにせず、政府は工事を強行している。私たちはこの地点に立って何をすべきか、どう行動するかを改めて考えたい」と呼び掛けた。
オール那覇の会共同代表の城間幹子那覇市長は「翁長雄志前知事はヌチカギリチバラナヤーサイと言っていた。魂の言葉であり、命ある限りぶれることのない信念を貫く強い覚悟を感じた。次は私たちが覚悟を示す番だ」と語った。
謝花喜一郎副知事は玉城デニー知事のあいさつ文を代読し、「辺野古反対の民意は過去2回の知事選などでも示されたが、県民投票で辺野古埋め立てに絞った民意が初めて示され、極めて意義がある。辺野古が唯一と政府がこだわることこそ、普天間の固定化につながる。私は辺野古埋め立て反対の民意を尊重し、断念することまで揺らぐことなく闘い続ける。民主主義の力を信じ頑張ろう」と話した。
大会決議では、県民大会の結果を無視して工事を強行する政府に対し「民主国家として恥ずべき行為で、断じて許すことはできない」と批判。国土面積0・6%の沖縄に全国の米軍専用施設面積の7割が集中する状況を「異常事態」と指摘し、「政府が負担軽減を言うならオスプレイの配備を撤回し、世界一危険な普天間飛行場は即時閉鎖・返還すべきだ」と求めている。
2014年12月の翁長前知事の就任以降、辺野古新基地建設に反対する県民大会は、昨年8月に次いで4度目で、昨年10月の玉城知事の就任以降では初めてとなる>(以上「沖縄タイムス」より引用)
民の声を聴くのが民主主義だ。政府が決めたことを強行するのが「主権在民」ではないはずだ。
辺野古沖埋め立て工事の許可は確かに「仲井眞元県知事」が出した。しかし仲井眞元知事も「辺野古移設反対」の立場で当選した知事で、しかも任期切れ寸前に「最後っ屁」のような形で県民を裏切って「公有水面埋め立て」許可を政府に出した。それを機に政府が辺野古沖埋め立て工事に着手した。
県知事が許可して埋め立て工事が始まったものなら、県知事が「許可」を取り消したら埋め立て工事は止まるはずだが、前任者の翁長氏が「許可取り消し」措置を行っても、政府は「許可取り消し無効」の訴えを裁判所に提訴して、政府の言い分が通っている。
日本の司法は狂っているとしか言い様がない。原発再稼働に関しても「活断層が原発地下に隠れているかも知れない」と提訴しても、「活断層があることを証明」出来ないから再稼働を認めるという。むしろ「活断層がないことが証明できないから再稼働は認められない」とする方にこそ合理性がある。
公有水面埋め立て許可が県知事権限だというのなら、それを取り消すのも県知事権限ではないか。なぜ司法判断が入る余地があるのだろうか。余地があるとするなら、公有水面埋め立て許可を出さない知事に対して、政府は「埋め立て許可を出すべきだ」と提訴すれば良かっただろう。なぜ当時の仲井間知事に「許可」を迫ったのだろうか。
そこに法の一貫性がない。日本は法治国家だと多くの国民が思っているが、実はそうではないようだ。政府による「人治国家」だと考えた方が良い。つまり政府こそが憲法であり、法律だ、とする法治国家の放棄が堂々とこの国の司法で行われている。この国の司法も政府と同様に腐り切っている。
圧倒的多数の沖縄県民が何度「辺野古移設反対」を訴えでも、それは政府に聞こえない、というので民主主義が成立するのだろうか。国防は政府の専権事項だ、として退けているが、辺野古に米軍基地を造ることと日本の国防との間にいかなる因果関係があるというのだろうか。
そもそも米軍は日本の防衛のために日本国内の基地に駐留しているのだろうか。米軍は米国の防衛のためと米国の戦争のために日本国内の基地を占有し、空域を占有し地位協定により日本を「治外法権化」している。つまり先の大戦以後ずっと日本を占領しているに過ぎない。そうした米国による占領政策を維持しているのが日本政府だ。
極東の軍事的緊張関係を作り出している中国の軍事巨大化も、北朝鮮の核開発も、米国が絡んでいる。米国は決して世界の平和など望んでいない。それはロシアも中国も同じだ。
軍事超大国として、世界の二百近い国々に君臨して、「国連=戦勝国クラブ」が世界の主導権を握り続けるには世界が平和であってはならないからだ。常に核戦争の危機を演出していなければ、他の世界の二百近い国々が「戦勝国クラブ」を必要としなくなるからだ。
つまり世界は「戦勝国クラブ」の厚かましくも「安全保障理事会」の常任理事国を自任している国々によって支配されている。もっと厳密にいえばそれら常任理事国の「軍産共同体」が核戦争の危機を梃子にして世界を支配している。
いわばプロレス興業のような「戦争ごっこ」で世界を核戦争の陰鬱な影で常に覆って、「プロレス」のように戦勝国同士は決して戦わない、代理戦争を常に世界の何処かで「演出」して、戦勝国とは無縁な多くの人たちに艱難辛苦の目に遭わせ、命を虫けらのように奪って莫大な利益を手にしている。
そうした戦勝国クラブの「プロレスごっこ」の一環に、沖縄が組み込まれている。いや沖縄だけではない、日本国民のすべての命が核戦争の危機の瀬戸際に引き立てられて、深い谷間を覗かせられている。それが北朝鮮の核とミサイル開発だ。それを利用して安倍自公政権は「国難危機突破」選挙と銘打って大勝した。まさしく戦勝国クラブの世界戦略の手法を真似た選挙だった。
そして今も、沖縄に大量の米軍が駐留していなければ、中国が大挙して占領軍を差し向ける、と脅す軍事評論家がいる。なんと愚かな連中だろうか。彼らが占領するのはせいぜい無人の岩礁でしかなく、そこを埋め立てて軍事基地化するのが精一杯だ。中国に兵站を維持するための日本の自衛隊を上回る海軍も空軍もない。それよりも中国共産党員の懐を潤さない軍事侵攻に、習近平一派が乗り出すわけがないではないか。
日本国憲法で「主権在民」が民主主義の基本だと定められている。憲法は政権・権力者を縛るための、国民のためのものだ。それが先の大戦で敗北し、反省した日本国民の総意ではなかったか。
政府は沖縄県民投票の結果を受け止めて、埋め立て工事を直ちに中止し、辺野古の海を原状復帰に努めるべきだ。そして普天間基地の米軍には馬毛島への移転かグアムへお引き取り願うか、のいずれかしかないと打診すべきだ。