グローバリズムの対立軸はトッド氏の唱える「協調的保護主義」だ。

無所属のアントニオ猪木参院議員(比例代表)は21日、東京都内のホテルで記者会見し、国民民主党会派入りを表明した。参院では立憲民主党会派と国民会派が27人の同数で並んでおり、猪木氏の加入で国民が一時的に野党第1会派となる。
 会見には、国民の玉木雄一郎代表、同党と統一会派を組む自由党の小沢一郎共同代表も同席。猪木氏は会見で、約1カ月前から小沢氏の打診を受けていたと明かし、「野党大連合という部分でみんなが力を合わせる手伝いをしたい」と述べた。
 夏の参院選で改選を迎える猪木氏に対し、小沢氏は「引き続き国政に参加してほしい」と立候補を要請。猪木氏は「何も考えていない。一寸先はハプニング」と述べるにとどめた。
 国民会派が正式に参院事務局に入会を届け出れば、国会運営などで野党の代表として与党との交渉役を担うことになる。ただ、国民は立憲会派入りの意向を表明している藤田幸久参院議員(茨城選挙区)の除籍(除名)処分の手続き中で、藤田氏が国民会派を退会して立憲会派に入れば、立憲が28人、国民は27人となり、参院の野党第1会派が逆転する。
 立憲幹部からは、来年度予算案の衆院通過が迫っていることを念頭に「藤田氏の処分手続きを引っぱって参院の予算審議で幅をきかせたいのではないか」と皮肉る声も出ている>(以上「毎日新聞」より引用)

 アントニオ猪木氏が小沢一郎氏の画策する「野党連合」に参加することになった。心から歓迎すべきことだ。
 巨大与党の安倍自公政権と対峙するには「小異」を取り立てて大局観を失っていたら話にならない。まず、国会議員が世界的な政治軸は「グローバリズム」対「反・グローバリズム」だということを認識すべきだ。

 そして「反・グローバリズム」をエマニエル・トッド氏は「協調的保護主義」だと表現した。まさしくその通りで、トランプ氏の唱える「米国ファースト」は協調性を欠く保護主義でしかなく、グローバリズムと対峙するものではない。
 欧米人には「協調的」という概念が乏しいのかも知れない。彼らは常に勝利か敗北か、黒か白か、と物事を二面対立的に捉えて対立的に観念する傾向が強い。トッド氏のいう「協調的」とは日本人が口にする「和の精神」ではないだろうか。

 日本人は文字記録として残る千数百年に及ぶ歴史の中で政敵一族郎党を殲滅したことはない。ましてや天皇家は神々の時代から日本の「権力」の頂に君臨してきた。
 天皇家が現実的な「権力」を失っても彼ら一族を日本人は殲滅しなかったし、国外へ追放しなかった。彼らは依然として「権力の象徴」として天皇家であり続けた。現在もその血脈は絶えていない。

 それは日本が民族的に「単一社会」だったことや、周囲を海に囲まれた「閉鎖社会」だったことが大きな要因だろう。欧米が陸続きで多様な民族が混在していたのとは大きく異なる。
 だから日本人は閉じられた社会の中で、同じ言語を話す民族として、激しい権力闘争の中でも一体の則を超えない知恵を獲得していったのではないだろうか。その知恵を「和の精神」と呼んでいるのではないだろうか。

 それに対して欧州社会は他民族の土地を奪い、男子を皆殺しにして女子を凌辱して血筋を完全に絶やす民族闘争を延々と繰り広げてきた。そこには「勝利か死か」だけしか存在しなかった。
 そうした環境で千年以上も暮らしていれば、考え方は二面対立的にならざるを得ないだろう。しかし、そうした対立的に思考回路が結果としていかに悲惨な事態をもたらすかを先の二度にわたる世界大戦で学習したはずだ。

 戦争が小競り合いで終わる時代ではなくなった。兵器の格段の進歩と核兵器の出現で、第三次世界大戦が起きれば人類のみならず世界が破滅することは明らかだ。
 だから「単一国際社会の実現」だというグローバリズムの論理が輝きを放っているが、それは経済的な侵略を目論む一握りの者たちのプロパガンダに過ぎないことが露呈しつつある。僅かトップ26人の富豪が有する資産が残りの半分35億人の有する資産に等しい、という極端な格差社会を出現させている。

 トップ26人の富豪が僅か5%の負担で世界から極貧層が一掃されることが解っている。だからトップ26人の富豪を「丸裸にしてしまえ」というのは欧米人の考える「二面対立的」な思考回路だ。
 日本人なら「みんな違って みんないい」という金子みすゞの詩の世界を想起する。たとえ世界の富を独り占めする大富豪がいようと、所詮は100年に満たない限られた生命を生きるに過ぎない。

 「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半」という言葉が日本にはある。一人の人が占有出来る面積は起きていれば「半畳」分でしかない。横たわって寝ても、一人が占有出来値面積は一畳でしかない。
 つまり無駄に広い豪邸を建てようと、人が暮らすのに必要なのはせいぜい一畳ほどだ、という考え方だ。強欲は恥、とする観念が日本人にはある。きらびやかに宝石や貴金属で身を飾るのは「卑しい」とする考えだ。それはおそらく仏教に根差した「知足」の観念ではないだろうか。

 野党政治家諸氏は政治が「グローバリズム」と「反・グローバリズム」が対立する「軸」として動いていることを認識すべきだ。構造改革と称して日本的な社会を壊している安倍自公政権は「革新政権」だ。決して従来の伝統を重んじる保守政権ではない。
 日本の社会構造を変える、ということは従来の社会構造に欠陥があるからなのだろうが、安倍自公政権は戦後の日本が達成した復興と高度鯨財政町の何処に「欠陥」があったというのだろうか。物事を「構造改革」する際には「変えるリスク」を考慮すべきだ。

 結果として日本は分厚い中間層が崩壊して熾烈な格差社会になり、おおむね中間層が貧困化した。富裕層に課されていた所得税の最高税率93%は過酷だ、という高額所得者のお笑い芸人などのテレビを通してのメッセージが功を奏して、所得に対する最高税率が40%に抑えられ、住民税の10%を加えても50%でしかない。さらに資産から生じる株式配当などには20%の源泉分離課税があって、高額所得者の税負担は驚くほど低くなっている。
 税による「富の再配分」という機能は失われ、消費税で貧困層も等しく税を負担すべき、という考え方が日本社会に蔓延している。それも日本のマスメディアによる長年にわたる洗脳の結果だ。なぜならテレビ画面に登場するタレントたちの多くは高額所得者だからだ。

 テレビ画面に登場する人たちを自分たちの仲間だと思ってはならない。彼らは飛んでもない高額所得者で、ただ普通感覚の「庶民」を演じているに過ぎない。
 そうした偽装が社会に罷り通っている。そして実態を知らされないために、国民の多くは現状を是認している。マスメディアに登場する政治家にしても、必ずしも庶民の代表ではない。彼らの多くは相続した財産を所有する富裕層の出自でしかない。

 小沢氏は「反・グローバリズム」を明確に認識している政治家だ。かれが10年前に策定したマニフェスト「国民の生活が第一」は反・グローバリズムそのものだ。それは一人一人の国民を大事にして、日本の未来「子育て」に投資する画期的なマニフェストだった。
 それを反故にしたのは決して当時の野党の自公ではない。民主党政権そのものがグローバリズムと財政規律論に毒されて、自ら「国民の生活が第一」の政策をゴミ箱に捨て去った。そのことを真摯に反省することなしに、かつて民主党を支持した有権者の支持が回帰することはない。

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