平和条約どころか、日ロ間に歴史的共通認識すら出来ていない。
<1945年の8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し(連合国側への通告は14日)、陸海軍の無条件降伏を行った、つまり日本としては第二次大戦が終わったと認識した後で、ソ連は南樺太と千島の占領という軍事作戦を敢行しました。(満州方面では8月9日より戦闘開始)これは日本側からみれば、第二次大戦の一部とはみなせない、一方的なものであったと言えます。
その後、1956年には鳩山一郎内閣において、河野一郎農林大臣(現在の河野太郎外相の祖父)が対ソ交渉を行い、日ソ共同宣言に合意して日ソの国交が回復しています。この日ソ共同宣言では「戦争状態の終結」が合意されていますが、日本としては、この戦争状態の終結というのが「第二次大戦」だということは認めていません。あくまで日ソ中立条約が有効であるにも関わらず一方的に行われた戦闘行為であり、それによって発生した対立という考え方を取っています。
このように、ロシアの言う「第二次大戦の結果として南千島がロシアのものになった」というストーリーは、二重三重に根拠が崩れていますし、日本としてそのような主張は一度も認めたことはありません。
では、プーチン政権は「大変な悪意を込めて」こうした主張をしているのかというと、それも違うと思います。あくまで交渉のカード、言葉のゲームとして持ち出しているのであって、むしろ堂々と否定することで対等の舌戦、論理戦に持ち込めばいいのではないかと思われます>(以上「Newsweek」より引用)
昨日書いたブログ「盗人猛々しい国家・ロシア」を補強するかのような記事をNewsweekが掲載した。まさしくロシアと日本の先の大戦に関する両国関係はこの通りだ。
さらに、旧ソ連とロシアに継続性があるとすればそのことをロシアは日本政府に証明しなければならない。ソ連が不法占拠した「北方領土」をロシアが継続して不法占拠している根拠は何なのかを、国際社会に説明すべきではないか。
先の大戦で日本はソ連と「日ソ不可侵条約」を締結していた。ナチス・ドイツに攻め込まれていた当時、日本が対ソ戦に参戦していたならソ連は兵員を東西に二分する必要があり、敗北していた可能性が高い。当然ながら、ドイツから日本政府に「参戦要請」が届いていた。
しかし日本は律義にも「日ソ不可侵条約」を守って参戦しなかった。しかしスターリンのソ連軍は突如として敗戦間近の8月9日に日本領満州へ攻め込んだ。その後の悪逆非道ぶりは筆舌に尽くし難い。そして60万人もの日本の兵隊や軍属をシベリアへ強制連行し、過酷な使役に従事させて12万人も餓死や凍死させた。この蛮行を日本国民は忘れてはいない。「異国の丘」という歌謡に切々と歌われている。
上記記事にもある通り、ソ連軍が千島列島に上陸侵攻したのは8月15日のポツダム宣言受諾後で、日本軍は「無条件武装解除」していた。丸腰の日本軍にソ連軍は攻め込んだのだ。
戦争の勝利により占領した、と愚かなロシア政府は主張するが、日本がポツダム宣言受諾後にソ連軍は日本軍と「戦争」したというのだろうか。ポツダム宣言の起草会議にソ連の最高指導者・スターリン氏も出席していたが、日本が受諾したポツダム宣言にソ連はサインしていないから「日本の敗戦」を認めない、という論法なのだろう。しかし、それは明らかな「恣意的」な国際法の錯誤でしかない。
ロシアは恥を知るべきだ。先の大戦で日本から損害を受けたから、日本は領土を奪われても仕方ない、という論法は破綻している。日本はソ連と戦ってはいない。ただ一方的に終戦間際の8月9日に疲弊した日本軍の支配地域の旧満州へ軍事侵攻しただけだ。
旧満州は終戦後に中共政府が侵略して現在では「中国東北部」となっている。元々の中国の版図は北限を「万里の長城」までと自ら規定していた。それを破っているのは「歴史的事実」だと余りに明らかだ。
日本政府はロシアに対して歴史教育を施すべきだ。彼らは歴史的事実を知らないのか、あるいは知っていても「恣意的」に無知を装っているのか。いずれにしても、ロシア国民は歴史的な「史実」を知らないのだろう。
すべては正常な状態に復してから、日ロ両国関係を話し合うべきだ。そうでないと、両国民は反目し合ったまま、偽りの平和友好関係を構築するだけだ。偽りの平和はチョットした切っ掛けで崩壊する。そんな砂の城のような平和関係など、最初から構築しない方が後々のためではないか。日ロ首脳会談を実施するにはまだ歴史的な基礎的認識に関してすら、まだ何も共通認識できていないし、平和会談どころの話ではない。