グローバル化の対立軸は「国民の生活が第一」の政治だ。
<自由党の小沢一郎共同代表は1日、東京都内の私邸で開いた恒例の新年会で、所属議員らを前にあいさつし、「我々野党には、もはや後がない」と強い危機感を示した上で、あらためて野党結集の必要性を訴えた。
小沢氏は「野党が結集すれば、政権交代は容易にできる」としながらも、「野党の結集は遅々として進まない状況」だと指摘。その上で、「たぶん、追い詰められたという表現でもいい」と、踏み込んだ言葉で野党の置かれた厳しい現状を示し、「ここでしっかり力を合わせて与党と決戦するしか選択肢はない。ベストの目標にはならなくても、よりよい野党結集をつくりあげたい」と決意を述べた。
野党がバラバラの現状を念頭に「このままの状況で、どこかの野党がこのまま、存続していくことはたぶんあり得ない。野党の強弱はあっても、いずれ政府与党とその権力の前に、崩壊するしかなくなってしまう」と、分析。「ここで野党が踏ん張って政権を獲得し、国民の生活と日本の将来の安定をはかる。そういう政治を実現しなければならない」と述べた。
通常国会召集は1月28日の予定で、当初より遅れたが、小沢氏は今年の政治日程に関し、「もしかすると、衆参ダブル選挙ということも、現状のままに推移するとあり得ると思う。政府がやる気になれば、何日に国会が召集されても、ダブル選挙はいつでもできる」と述べ、安倍晋三首相が今夏の参院選に合わせた衆院選とのダブル選挙に踏み切る可能性を想定し、行動するよう呼びかけた。
自由党国会議員だった玉城デニー氏が沖縄県知事に転出した後の衆院沖縄3区補選も、統一地方選と同じ4月に予定される。今年は小沢氏にとって、重要選挙が続く選挙イヤーとして、手腕が問われることになりそうだ>(以上「日刊スポーツ」より引用)
まさしく野党には「あと」がない。これ以上安倍自公政権の恣にグローバル化を強行されては日本の「国のカタチ」が復元可能な弾性値を越えてしまう。
チマチマとして政権交代の政権構想が描けないミニ政党の首領に安穏としている連中はイマの日本の政治に不要だ。国民のためにも国民一人一人を大切にする「日本を取り戻す」ことが必要だ。
グローバル化は日本を丸ごと国際的な投機家集団の餌食にすることでしかない。そこに必要なのは個性的な「日本」ではなく、個々人の日本国民でもない。
むしろ日本人を彼ら好みの「国際人」するためには壮大な「混血策」こそが必要だ、と彼らは考えている。大量移民して日本人の混血を促進し、日本の伝統文化といった七面倒な御託を御破算にして、出来れば日本語も話さず英語のみしか喋れない「新日本人」を培養したいと考えている。
そうした長期戦略上に安倍自公政権の政策がすべて展開している。小学低学年から英語教育を始め、パソコンのプログラミング教育を推進しようとすしている。
その先に見える光景を日本国民はしっかりと認識すべきだ。所詮プログラミングは貼り絵モザイクでしかない。それぞれのパーツを体系立ててコピペすれば良いだけだ。必須科目にするほどのものでもない、ということはIT関係者なら誰でも知っていることだ。
英語教育の専門家も、むしろ必要なのは日本語でキチンとした論理立てた思考が出来るかどうかだ、ということは誰でも承知している。街角でスラング交じりの低能英語を操る連中を「英語教師」として採用するよりも、マトモな日本語をしゃべる日本国民を国語教員として採用すべきだ。
日本をグローバリストの手から取り戻すためには「国民の生活が第一」の政治理念を掲げる野党連合を結成するしかない。グローバリズムの対立軸は「国民の生活が第一」の政治だ。それを唯一掲げているのは小沢一郎氏の自由党だけだ。
小沢一郎氏に一度あることは三度ある、とのいわれ通りに政権交代を果たして頂いて、「三度目の正直」でキッパリと隷米勢力を政界から追放すべきだ。そのために国民は小沢一郎氏に政権交代の夢を託そうではないか。