政治がいかに私物化されようと、人材育成の「大学入試」に私物化があってはならない。

<入試不正が発覚した東京医科大が過去2年分の入試結果を調査したところ、一般入試と推薦入試で計約100人が不正に不合格となっていたことが、関係者の話で分かった。同大は不合格となった受験生の意向を確認したうえで、希望者については入学を認める方針で、7日に記者会見をして公表する予定という。

 同大では女子や浪人回数の多い受験生を不利に扱っていたほか、特定の受験生に加点をするなどの不正が続いていた。第三者委員会が10月下旬に公表した報告書では、2017、18年度の一般入試を分析した結果、本来は合格だったにもかかわらず不合格になった受験生が計69人おり、このうち少なくとも55人が女子だったとしていた。同大が入試結果を精査したところ、対象者は約100人になったという。

 第三者委員会は18年度の本来合格者の入学を認めるべきだと提言する一方で、17年度は「大学側の判断に委ねる」としていた。同大は検討した結果、両年度の受験生を同じように扱うと決めたとみられる>(以上「朝日新聞」より引用)


 国民の税を少しでも投入している学校法人において、入試は科された科目の獲得点で選抜される。それ以外の要素を差し挟むべきではない。
 東京医科大学で女子や二浪以上の浪人受験者に対してハードルを恣意的に他界していたのは大学として「不誠実」だった。いかなる理由があったとしても許されるべきではない。

 医学部を卒業後、医師となった女子が性的な理由から離職するケースが多いというのは働く環境として不適切だからだ。それは看護師の女子でも同じではないか。そして、二浪以上の浪人生が入学後「伸び」が少ないからハードルを設けていた、というのも不適切な差別だ。
 医師を目指す動機が何であれ、医師を志して人生を賭している若者を「二浪以上だから」として差別してはならない。苦労して医学部に入った者には現役でスッと入った者にない「使命感」がより一層強いかも知れない。

 入試に必要な学力と「良い医師」とは必ずしも正比例しない。医師の能力で最も重要なものは「所見」ではないか。患者の症状から病理の核心を探り当てる所見を行う能力は自己「カンファレンス」にある。
 様々な症状から「葛藤」して病理を紐解くには入試の学力だけでは対処不能だ。豊富な医学的知識の蓄積とそれを体系的に組み立てる総合力が不可欠だろう。良い医師の能力と大学での成績とはまた別ものではないか。

 持続的な弛まざる研鑽こそが「良い医師」への道だろう。それは持続的な向上心だ。女子や二浪以上の浪人生に「持続的な向上心」が乏しいとは思えない。
 他の学部の多くが就職にある人生の選択が医学部では入学の段階で決定する。その人生の選択ものの段階で差別された女子や二浪以上の浪人生に同情する。100人にも上る人たちが是正されるのは了とするが、推薦入学という「不正」を許した理事会は真摯に反省すべきだ。

 大学教育を「私学」とはいえ決して私物化してはならない。人材育成に私情を差し挟むべきではない。人材育成とは「私」を越えた崇高なものだ。
 政界では腐敗の極みで安倍自公政権が友人や知人、自分に言い寄る者に「有利な計らい」を行い行政を私物化しているが、それがどれほど日本の根幹を腐敗させているか、愚かな政治家諸氏は気付いていない。それを看過している有権者もまた日本国民として劣化しているのだろう。「人を堕とすには批判は要らない、盛大な拍手をすれば良い」とはけだし箴言だ。安倍ヨイショのマスメディアが結果として安倍自公政権を堕落させた。

 しかし人材育成の教育機関は世間の風潮がどうであれ、何があっても堕落させてはならない。それこそ明日の日本を担う人材を輩出する「機関」だからだ。明日の日本が腐り切るも、躍進する社会になるかは人材育成にかかっている。
 東京医科大学の二年間だけでも約100人に上る「不当な差別」があった。差別された方々の無念さを思わずにはいられない。人材育成の場で、いかなる差別もあってはならない、ということは今更指摘するまでもないことだ。

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