「バカに付ける薬はない」とは麻生氏のことだ。

麻生太郎副総理兼財務相は17日、福岡市長選の応援のために訪れた同市内で街頭演説し、東大卒の北橋健治北九州市長を「人の税金を使って学校に行った」と批判した。安倍政権は、大学の財源の多様化を進めるべきだとの方針を示している。
 北橋氏は元民主党衆院議員で、前回2015年の市長選で自民党の推薦を受けて3選したが、麻生氏は対抗馬を模索した経緯がある。北橋氏を攻撃する中での発言だが、国立大出身者に対する批判とも受け取られかねず、不適切だとの指摘も浴びそうだ>(以上「毎日新聞」より引用)


 日本の宝は「人」だ。豊富な地下資源に恵まれているわけでもなく、広大な耕作地に恵まれているわけでもない。そうした国で世界に伍してやって来られたのは「人」に恵まれたからだ。
 人材は「人財」という。人財に恵まれなければ今日の日本の繁栄はなかっただろう。まさしく日本国民が「人財」としてそれぞれの持ち場で頑張って来たからだ。

 大学教育だけが「人財」育成の場ではない。企業もまた労働者という「人財」に恵まれなかったなら質の高い製品を造るのは困難で、不良品や欠陥品で信頼を失い市場から淘汰されるだろう。
 そうした意味で、麻生氏も含めた経営者は労働者の「人財」に恵まれて初めて企業家としてやっていける。経営者は労働者と共に汗を流して企業活動を推進し、利益を分かち合う関係にある。そうした関係を失念して驕り高ぶったバカな経営者が世間には多過ぎる。

 大学教育は日本のリーダーを育てるための教育機関として発足した。国立大学は官僚育成機関として設立された歴史がある。国立大学卒業者を「他人の税金で勉強した」というのなら確かにそうだろう。
 学校教育には公立であろうと私立であろうと少なからず「税」が投じられている。それは大学だけではない。すべての学校においてそうだ。ただ国立大学に「税」の投入割合が多い、というだけだ。

 国立大学に「税」の投入割合が多いのは授業料を引き下げて、家庭環境の貧富の差に関わりなく全ての日本国民が能力に応じて国立大学に進学できるようにするためだ。広く日本国民に門戸を開くために国立大学はある。
 しかし麻生氏が「税」により国立大学出身者は勉強した、と批判するのはおかしくないか。欧州諸国を見れば多くの国で教育を無料化している。安倍自公政権はやっと日本の幼児教育を「無料化する」と消費増税の言い訳に使っている。麻生氏は子供たちを幼稚園や保育園に預ける親に向かって「税」で子供の面倒を見させるつもりか、と批判しているのと同じだ。

 世界の先進国でしかも経済大国を自任する日本で国立大学ですら未だに無料化されていないのは情けない。しかも「財源」を確保するために独立法人化し、大学に企業の真似をさせる、というのでは基礎学問に励む人たちがいなくなる。
 人文科学や哲学などは「非生産的」だから縮小する、とも政府では取沙汰されているようだが、勉強したことにない人たちにとって学問がいかに大事か解らないようだ。バカに付ける薬はない、とはまさにこのことだ。

 麻生氏は政治家として問題がある。先日も「貧乏人が金持ちの払った医療保険を浪費している」と発言したようだが、社会の「応能負担原則」という考え方すら理解していないようだ。
 貧者と富者、老人と若年をそれぞれ対立させるかのような論評は戴けない。ましてや政治家がそうした対立を煽ってどうするつもりだろうか。「コメ一揆」でも扇動するのならまだしも、政治家として国家の秩序と協調を願うのならもっと別の発言があっても良いはずだ。

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