「自己責任」への批判に反論する。

<内戦下のシリアで武装勢力に拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(44)についてインターネットでさまざまな意見が発信されている。「拘束されたのは自己責任」との批判に対し、海外を舞台に活躍する著名人らが反論する投稿も。識者は「海外では唱えられることのない自己責任論が蔓延(まんえん)している状況を懸念し、問題意識を持って発言している」との見方を示す。

 7大陸最高峰を登頂したアルピニストの野口健さんはツイッターに「邦人保護は国にとっての責務。事が起きてしまえば『自己責任だから』では片付けられない」「使命感あふれるジャーナリストや報道カメラマンの存在は社会にとって極めて重要」などと投稿。その上で「この度の出来事を一つの教訓として次に繋(つな)げていかなければならないと思う。必要な事は感情的な誹謗(ひぼう)中傷ではなく冷静な分析」と指摘した。

 サッカー元日本代表の本田圭佑選手は「僕も色んな国に好きで行くので、しかも政治やビジネスに関して好きな事言うので、このまま拘束されたりしたら、ホンマにヤバいかもっていつも思ってます」などと投稿した。

 米大リーグ・カブスのダルビッシュ有投手もツイッターに投稿。「自己責任なんて身の回りに溢(あふ)れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙(たいじ)しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います」との考えをつづった。

 両選手がこうした投稿をした心境について、精神科医の香山リカさんはツイッターで「なんの後ろ盾もなく国際社会でがんばるチャレンジ精神とそれに伴うリスクを彼らもよく知ってるからだろう」などと論評した。

 ジャーナリストの津田大介さんは安田さんへの「自己責任論」を巡り、ネット上で意見が交わされている背景として、ツイッターの社会的影響力が増している点を挙げる。ダルビッシュ投手らの発信について、津田さんは「海外では国際ニュースの量が多く、その中には戦場や紛争地を取り上げたものもある。ダルビッシュさんらは、社会における安田さんのようなジャーナリストの公共的な役割を知っているのだろう。影響力のある人がそうした意見を表明することはいいことだと思う」と話した>(以上「毎日新聞」より引用)


 安田氏がヌスリム武装戦線に拘束されたことに関して、至極当たり前の「自己責任」論を唱える人たちに対して、「国家が保護すべき」とする著名人が多数登場しているのに驚く。それでは「国家」が邦人保護のために自衛隊を派遣してヌスリム武装戦線を武力制圧しろとでもいうのだろうか。
 日本政府・外務省が安田氏の解放努力を何もしないで、手を拱いていただ゛毛だとしても、それでは具体的に何をどうしろというのだろうか。「国」が邦人保護をしろ、というのは容易いが、具体的にトルコ領事館の外交官がノコノコとヌスリム武装戦線へ赴いて解放条件を巡って交渉するのか。

 日本政府は西側諸国と同一に「テロリストとは交渉しない」という立場を取っている。シリアには国家としてアサド独裁政権があるが、その他にもシリア国内を分断する軍事組織がヌスリム武装戦線とISIL(イスラム国)とクルド人地域の三つがある。
 シリア北部のクルド人地域は石油が出る土地でもあり、激しくシリア政府と敵対している。ヌスリム武装戦線は反・アサドを掲げるテロ集団で、トルコ国境周辺に展開している。ISILは一時シリア全土を制圧する勢いだったが、現在はシリア周辺各地に分断されてテロ攻撃を専らとしている。

 彼らは宗教や民族自決権を掲げて蜂起しているが、実態はクルド人以外はギャングに近い。虐殺や収奪を専門とする盗賊の群れだ。そうした「実態」を知るために現地へ赴き、取材しなければ「真実」は解らない、というのは狂気の沙汰だ。
 だから日本政府はシリアへ行くのは危険だと安田氏に勧告した。しかも彼は以前に何度か武装組織に拘束された経験がある。中東はギャングたちが鎬を削っている鉄火場だということは百も承知のはずだった。それでも行ったのだから、結果に関しては「自己責任」だというのは当たり前ではないか。

 平常時に日本政府が邦人保護を行うのは国家としての義務だ。国民の生命と安全のために国家は存在する。しかし紛争地域へ進んで赴き囚われた者を、日本政府がいかなる手段で解放するというのだろうか。
 米国のように相手国の主権を無視して特殊部隊を派遣して強行突破する、という芸当は出来ないし日本国憲法で禁じている。あくまでも話し合いで解放を促すしかないのが現実だ。

 現地へ行かなければ分からない、というのがジャーナリストたちの言い分だが、現地へ行けばかえって分からないこともある。武装戦線たちの大義名分を知ったところで、実際に割っている殺戮と強奪はいかなる名目をつけようと正当化されるものではない。
 サダト独裁政権がいかに非道であろうと、シリア国民を代表する政府はアサド政権だ。その政権が民主的でないからケシカランというのは私たちの常識でしかない。常識は時代とともに変わるが、宗教や地域や民族によっても異なる。彼らには彼らの理屈がある。ただ難民として国民が国家を捨てて逃げる国家体制は国民すべてによって支持されてないことだけは確かだが。

 日本国内の日本の法律の支配下であっても、国民が非道にも殺害され、貧困に苦しみ、社会格差のどん底で苦悩している現実こそをマスメディアは政府に突きつけるべきだ。悪逆非道なヤクザや暴力集団やギャング紛いの若者たちがたむろしている現実こそをジャーナリストはペンで告発すべきだ。
 ペンで抉るべき課題は国内に幾らでもある。バカ高い「国立競技場」の建設費をマスメディアすべてがスルーしているのはなぜなのか。かつてあれほど騒いだガソリンの高騰を現在はリッター160円を超えているにも拘らず、ジャーナリストも政治家たちも無視しているのはなぜなのか。企業が最大の内部留保を積み上げているのに、労働賃金が上がらないのはなぜなのか。ペンを走らせる現場は国内に幾らでもある。日本国民すべての幸福を願う日本のマスメディアが報道すべき課題は幾らでもある。

 かつて騒いだ「特殊法人」問題は解決したのか。主要穀物種子法を廃止し、日本の農業を外国穀物メジャーに対して丸裸にしている現実を日本のマスメディアが一切報道しないのはなぜなのか。「働き方改革」で雇用の場からいつでも放り出される「雇用の自由化」が促進され、外国人労働者の大量移民が実施されようとしている現在、日本国民は個々人に分断され孤立化され、労働者としてではなく「労働工数」として売買される「商品」に成り下がろうとしている現実に、マスメディアが危機感を覚えないのはなぜだろうか。
 少子化を防ぐには日本の労働者賃金を引き上げ、安定的な明日の暮らしがしっかりと見通せる雇用関係が保障されるべきなのだが、そうした方向とは真逆な「改革」がなされている現状をジャーナリストがペンで国民に報じないのはなぜだろうか。経済成長して国力を高めるには国民一人一人を「富ますこと」だという自明の理をマスメディアは一切報じないのはなぜだろうか。

 戦場は何も紛争地だけにあるのではない。日本国内にも様々な戦場があり、国民は権力者や経営者たちによって収奪され貧困化している安倍自公政権に、むしろ手を貸しているのがマスメディアの実態ではないか。
 戦場は国内にもある。国民それぞれが日々の暮らしを戦っている。ことに若者たちは必死に社会参画を目指して挑戦している。彼らこそ「自己責任」を課されて必死に生きている。いい年をしたジャーナリストが紛争地へ赴くのが「自己責任」だと批判して何が悪い。

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