時として政府も国会も超越する「国」とはナンダ。

学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡る問題で、加計孝太郎理事長が7日に愛媛県で記者会見したことを受け、同県の中村時広知事は9日、県庁で報道陣の取材に応じた。中村知事は「理事長自ら会見に臨んだことは評価し、県に関しては説明責任は果たされた」とした上で、「国の認可にかかわる問題については、学園の責任で引き続き説明責任を果たすべく汗をかき続けなければいけない」と述べた。
 加計氏は、愛媛県作成の文書に記載された2015年2月の安倍晋三首相と加計氏の面会について、従来の「記録にも記憶にもない」と繰り返し、裏付ける証拠は示さなかった。この点、中村知事は「証拠が示せないといつまでももやもや感は払拭(ふっしょく)できない」と述べ、「証拠を見つける努力は続けるべきだ」と指摘。この文書を見ずに会見に臨んだ加計氏の姿勢については「これだけの問題なのだから見ていてしかるべきだ」と批判した。
 県は加計学園の学部新設に関連し、多額の補助金支出を決めている。中村知事は「国の認可に基づき学校はスタートしているので、フォローしていく」と話し、支出は従来通り行うとの考えも示した。
 7日の会見では理事長の説明が不十分だったため、報道陣から再度の会見を求める声が相次いだ。県として再度会見を求めるかどうかについては「学園の判断」と述べるにとどめた>(以上「毎日新聞」より引用)

 一度国が決めたことは何があっても二度と立ち止まらない、というのが日本の風土のようだ。たとえその「政策決定過程に疑惑」があろうと、「合理的な説明」がなされなくても、国が決めたことこそ金科玉条ですべての異議や反対を排除して推し進められるようだ。
 ただ唯一の例外として「森友学園」だけが上げられるが、それは籠池氏が「舞台裏」を暴露して、政治家と行政決定の不適切な関係を明らかにした異例なケースだからだ。加計幸太郎氏は多少の「疑惑」は何のその、政治家と関わったすべての記憶を失い、記録もないからと政治家との関係を否定しきっている。

 同じようなケースは安倍自公政権下で幾らでもある。TPP参加は第二の自民党を目指した民主党政権下で突如として決められたが、安倍自公政権は「絶対参加反対」を掲げて当選したが、アッという間に賛成に転じて、その後は皆様ご承知の通りだ。今ではTPP推進の旗振り役を主導して米国や英国に「参加しないか」と勧誘する始末だ。
 普天間基地の辺野古沖移設は自公党政権下で決められ、一度は鳩山氏の民主党政権下で「最低でも国外」と沖縄県民の意に沿って「国策」を覆そうとしたが、反対に鳩山政権が転覆させられた。
 それ以降、何度も沖縄県民の「辺野古沖移設反対」の意は国政選挙や県知事選挙で示されているが、一度沖縄県民の意を裏切り任期切れ直前の県知事が「辺野古沖公有水面埋め立て」許可を出すと、それ以降もはや「国策」工事は止まりそうにない。

 原発に関しても自民党の中曽根政権が主導して始めた事業だ。住民の建設反対を押し切って、次々とこの狭い国土に50ヶ所を越える原発を建設した。そして「想定外」の事態で福一原発の三基の原子炉が原発建屋を破壊する爆発事故を起こして放射性物質を京レベルの「ミリベクトル」で放出し、国土の広範囲が放射能で汚染された。
 その原発事故を教訓として、ドイツでは原発停止を決定したが、日本政府は30年後の廃止を決定したものの、再稼働を着々と行っている。一度国が始めた事業は何があろうと、国民が被災しようと、国土が放射能汚染され住めなくなろうと、決して止まらない。30年後の停止とは、停止・廃炉に関して国は「何もしない」ということだ。なぜなら建設から40年としていた原発の耐用年数に、さらに根拠不明の稼働延長20年をプラスしても「耐用年数」をすべて超えるからだ。
 新規原発建設をしない限り、根拠不明のゲタを履かせた耐用年数ですら期限を越えるから、原発の稼働を停止するだけだ。「積極的」に停止するのではなく、稼働する状態でなくなるから「義務」として、原発を停止するに過ぎない。つまり安倍自公政権は原発停止に向けて何もしないことを決定しただけだ。国土や国民を「原発事故」による放射能汚染から守るために停止するのではない。

 加計学園の今治市の獣医学部は「ニワカ」に建設された。獣医師養成人数拡大の必要に迫られて、相当期間の新学部建設の助走期間を経て、全国の獣医師養成機関の協力体制を構築して、勇躍獣医新学部の建設に踏み切ったのではない。
 安倍官邸内に設けられた「国家戦略会議」なる実態不透明な国会審議をバスした審議会ですべてが決定する体制下で安倍氏の「腹心の友」が「受注」して今治市に獣医新学部を建設した。途中で不透明な「決定過程」が取沙汰されたが、一度決まったことは止まらない原則に従って、加計学園の獣医学部は建設を強行され開学部し、そして膨大な税金が投じられ、今後も投じられ続ける。加計氏は言を左右して時間稼ぎだけをしていれば彼の学校法人は補助金という税金が投入され運営される。それを「利権」といわずして何といえばよいだろうか。

 政権が変わろうと何があろうと、一度「国」で決まったことは変わらない。諫早湾締め切りも、裁判所で「締め切り水門を開ける」ように判決が出ても、「国」は即時抗告して裁判を行い、そして「国」が勝訴した。すべて「国」の下請け機関に堕した司法の府のなせる業だ。
 さまざまな「国策」を決定している「国」とは何だろうか。それは明らかに政治家たちの「政権」を超越した存在のようだ。もちろん「国会」も超越している。国民の意思など論外だ。国民の命も石ころほどにも考慮していないように見える。
 日本は実態を隠された「国」によって操られ、国民の殺生与奪も「国」によって握られている。そして日本のマスメディアは「国」の正体を決して暴こうとはしない。

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