政治家は「国民」によって選ばれる、という民主主義の原則すら失念して小沢批判とは呆れる。

<いまさら驚かないが、小沢一郎がまた寝言を発したらしい。



上記ツイートにある「小沢さん」が小沢一郎を指すことは容易に推測されたが、ネット検索をかけたらやはりその通りだった。以下に産経の記事を引用する。

【終戦の日】自由党・小沢一郎代表談話「終戦の日にあたり」必要なことは戦争を再び繰り返さない国民の覚悟
https://www.sankei.com/politics/news/180815/plt1808150011-n1.html

(産経ニュース 2018.8.15 00:20更新)

よく自分が今までにやったことを棚に上げてこんな「エラソー」なことが言えるもんだ。典型的な「おまゆう」だ。小沢の言葉を読んで、改めて怒りが込み上げる>


 小沢氏の言葉は極めて当たり前のことだ。日本国民がもっと「戦争」に関して真摯に向き合っていたら、先の総選挙で「戦争法」を強行した安倍自公政権に鉄槌を食らわしていたはずだ。かくして戦前も民主主義の体制下で戦争へと歩んだことを忘れてはならない。
 民主主義の政治責任はすべて国民に帰す。それが大原則だ、なぜなら安倍氏を選んだのも国民・有権者だし、安倍氏を首班指名したのも国民によって選ばれた自民党と公明党と若干の自民党補完政党の国会議員たちだ。つまり国民の代表が国会で決議しているから安倍氏は国民の総意として首相の椅子に座っている、という正当性が担保されている。

 小沢氏が「悲劇しかもたらさない戦争を繰り返さないという国民の覚悟が必要だ」と終戦記念日に談話を発表したのは少しも松井氏が「怒りがこみ上げる」と憤慨することではない。民主主義国家の政治家として極めて当然のことだ。
 そうした当たり前のことでも「怒りがこみ上げる」というのなら、自らの三期目に対する政策要綱も憲法改正草稿も示さない安倍氏にこそ「怒り」を覚えるべきではないか。自民党員は総裁選の投票権があるというが、何を基準にして安倍氏か石破氏かを選べば良いか判断基準がないだろう。それとも「安倍ちゃん」なら一任で政策など何でも良い、というのなら民主主義以前のレベルだ。

 憲法が権力者を縛るためにある、という法体系の何たるかを理解していない愚かな宰相が「解釈改憲」して自衛隊の海外派遣を可能にして、その後で憲法を現状に合わせる、というのはご都合主義以外の何ものでもない。
 いわば憲法は安倍氏にとっては玩具のような存在なのだろう。憲法は金科玉条で一項目たりとも変えてはいけない、とはいわないが、治世者は憲法に従って政治を行う、というのは揺るがしてはならない大原則だ。だから安倍氏が強行した「戦争法」は憲法を逸脱したもので、憲法違反だ、と98%以上の憲法学者が批判している。

 そうした憲法と治世者(総理大臣)との関係を指摘して、安倍自公政権の暴走を批判しない日本のマスメディアは腐り切っている。そして「戦争法」に対して憲法違反だとする談話すら発表しない「憲法の番人」最高裁判所・判事たちも腐り切っている。
 いうまでもなく、すべての法律は憲法に定める規範の範疇で制定することが許されている。憲法から逸脱する法律は違憲で無効だ。憲法は政治権力者を縛り、国民の権利を保障するものだ、という役割をしっかりと国民一人一人が理解しよう。

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