昭和天皇のご心痛。

昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが明らかになった。共同通信が22日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している>(以上「毎日新聞」より引用)

 晩年の昭和天皇が「戦争責任」で心を痛められていたことには痛切の感を抱かざるを得ない。
 歴史を現代の常識で論じるのは誤りだ。歴史を現代の常識で論じ批判するのなら、欧米諸国の歴史的な所業も等しく現代の常識で論評し批判しなければ昭和天皇との平等を欠くことになる。

 戦前の世界は欧米列強の「帝国主義」による植民地争奪戦を演じていた。アフリカやアジアは風土病が蔓延していたエチオピア以外は植民地とされ、唯一独立国家として欧米列強と伍していた有色人種の国家は日本だけだった。
 植民地と併合は全く異なる。植民地の住民は人権を一切無視され、殺害され強姦されても現地住民に「人」としての権利も自由も認められていなかった。そうした状況が日本以外のアジア、アフリカ、南北アメリカで展開されていた。

 日本は日本国民の生命・財産を守るために朝鮮半島に南下を企てていた清国やロシアと朝鮮半島で戦った。そして米国を中心とする日本包囲網により石油や鉄鉱石の「禁輸」策により日本は逼塞の内に滅亡するしかない瀬戸際に追い込まれた。
 そこで日本はアジア地域の人々に対して「独立」を呼びかけ、植民地支配をしている欧米列強と共に戦うことを呼びかけた。それが大東亜共栄圏の要旨だった。

 アナウンサーなどが「日本が朝鮮半島を「植民地支配」していた時代」と発言するのは無知なのか、あめいはGHQが戦後日本国民に刷り込んだ自虐史観を踏襲しているのか、のいずれかだ。朝鮮半島は台湾と同様に「併合」したのであって、植民地支配したのではない。そのことは戦前から生きている日本国民は常識だったし、現在でも少しでも史料を検証すれば明らかになることだ。
 しかし日本国民のとりわけ「文化人」と呼ばれる知識人たちはGHQに自虐史観で強く洗脳されて、未だに併合していた地域に対して「謝罪」している。なぜ日本の先人たちが欧米陸橋の植民地支配を防いだことに誇りを持たないのだろうか。それとも日本が朝鮮半島や台湾の人たちを牛馬以下に使役し、彼らには掘っ建て小屋に住まわせて教育や医療の機会を与えず、好き勝手に子女を路上で強姦し、男子たちの生命を奪っていたとでもいうのだろうか。
 欧米列強が植民地とした地域ではそうしたことが日常茶飯事だった。しかし日本が併合した地域では現地住民を同じ日本国民として処遇した。現地の教育や医療も日本と同等かそれ以上の水準を併合した地の全土に普及させた。それでも日本は朝鮮半島を植民地支配したという日本国民がいることには斬鬼の念に堪えない。

 先の天皇陛下が「戦争責任」に心を悩まされていたことには痛切の念を禁じ得ない。それなら日本に原爆投下を決定した米国の当時の指導者たちは「人類大虐殺」の自責の念に悩まされていたのだろうか。
 そうではない。彼の国の国民の多くは「戦争を早く終わらせるため」には原爆投下も必要だった、と未だにバカげた自己正当化を並べ立てているではないか。東京大空襲にしろ、木と紙でできている日本の家屋を効率的に焼き払うための「焼夷弾」を雨霰と投下したのも、東京市民大虐殺以外の何ものでもない。それは当時の戦時国際法でも禁じられている「非戦闘員の殺害」に当たる。公明正大なジュネーブ条約違反だが、彼らは日本が二度と立ち上がれないようにするため「日本原罪」を基本とする自虐史観を日本国民に植え付けるために「東京裁判」という茶番劇を仕立てた。

 こうした正当な昭和の戦争を論じる日本国民の声が表に出ないために昭和天皇は心を痛められたのだ。
 日本国民よ、良い人ぶるのはやめよう。戦争責任というのなら、喧嘩両成敗が大原則だ。当時の帝国主義と植民地から収奪した富の上に成り立った欧米列強の「文化」や「社会インフラ」を批判しよう。なぜ大英博物館に世界の歴史遺産や宝物が飾られているのか。それらは植民地などから収奪した「戦果」の陳列物でしかない。そのことを批判しないでマトモな近代史を論じることは出来ない。

 植民地は当時の「グローバル化」だった。一つの価値観で世界をひとまとめにする、という意味で植民地は帝国主義がもたらした「グローバル化」の成果だ。現代は「ヒト モノ カネ」の自由な移動、というレトリックを用いた米国の1%が敷衍する「グローバル化」世界にある。そのレトリックに騙されているのが暗愚な自公政権の国会議員諸氏とその補完政党の国会議員諸氏だ。
 グローバル化は「弱肉強食」を正当化する世界でもある。そのレトリックは自己責任と自己決定だ。まさしくABCD包囲網により開戦を決意するしかなかった日本を「自己決定」であり「自己責任」だから「日本が悪い」と評しているGHQが日本国民に押し付けた価値観そのものだ。まさしく昭和天皇は戦前の欧米列強が「植民地」というグローバル化に抗った日本の象徴であられた。

 「二度と過ちは致しません」という碑文の意味不明さが昭和天皇のご心痛の原点だ。日本国民は米国を中心とした先の大戦の戦争責任を「敗者」の立場から主張すべきだ。それが現在のグローバル化に立ち向かう最大の武器となる。勝者が書いた歴史は決して正しくない。

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