ゲームはリセットできるが、人生はリセットできない。
<米南部フロリダ州ジャクソンビルで開催されていたビデオゲーム大会の会場で26日、大会参加者とみられる男が銃を乱射する事件があり、地元警察当局によると2人が死亡し、少なくとも9人が負傷した。銃撃犯も自殺を図ったとみられ、死亡が確認された。
最近のゲームはバーチャル・リアリティーが売り物だという。PCの劇的な進化によりゲームがより現実的な動きになり、音響はもはや現実すら超えている。
そうした雰囲気の中に身を置いて、自身が主人公となってゲームを支配する快感は一種の「麻薬性」があるようで、嵌ったらやめられないもののようだ。そうしたゲーマーを集めて「大会」を行う興業が「ビデオゲーム大会」と称して、大きな会場で行われている際に惨劇が起きた。
ゲームに参加していたゲーマーが会場で銃を乱射し2人が死亡し9人が負傷した。「容疑者」と思われる24才の男は前年大会の優勝者だったという。
容疑者はゲームに負けたことに腹を立てて凶行に及んだようだが、本人が自殺しているから正確な動機は解らない。ただゲームと違って現実はゲームオーバーのリセットボタンはない。
バーチャル・リアリティーが現実と混同して「嵌る」のはゲーム制作会社の商売戦略だろうが、それによりゲーム症候群を発症してゲームにのめり込んで現実生活を従属的に考える若者が増えているのは問題だ。
何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。ゲームがいかに進化しようが、ゲームはゲームでしかない。ゲームはリセットできるが、人生はリセットできない。過ぎ去った「時」をリセットして取り戻すことは不可能だ。
若者が人生の重要な実社会への順応期間をゲームでロスするのは彼らの人生で大きな損失だ。高性能ゲーム用PCでバーチャル・リアリティーを実現するのも考え物だ。ゲームは到底現実に及ばない段階でとどめておく必要があるのではないだろうか。
商売としては若者が熱狂して現実とゲームが入れ替わるほどの感覚が必要なのだろう。それによりゲームの売り上げそのものにも増して大会運営による儲けも大きくプラスできる。しかし若者が熱狂すべきはバーチャル・リアリティーの世界ではなく、その先の長い人生の糧となる実社会での体験や様々な人間関係だ。リアルな現実は必ずしも熱狂的でない。むしろ人生は地味で味気ない場面の方が圧倒的に多い。そうした人生の艱難辛苦に耐える強い精神を涵養するのも若者の学ぶべき必須事項だ。リセットできない人生で大きく道を踏み外さないための学習期間が「若い時」なのだ。
当時はアメフトゲームのトーナメント対戦中だった。発表によると、容疑者は東部メリーランド州在住の白人の男(24)で前年大会の優勝者だったという。AP通信は目撃者の証言として、男が別のプレーヤーの試合中に乱射し始めたと報じており、連覇を狙う男が、勝敗の行方に関与しようとした疑いもあるという。
アメフトや格闘技などビデオゲームの腕前を競う「エレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)」は米国でも人気が高い。事件があった会場はダウンタウンの商業施設内にあり、多くの観戦者が詰めかけていた>(以上「読売新聞」より引用)