一月遅れのストロベリームーン。

 いつものように払暁に目が覚め、空を見ると南西の方角に低くストロベリームーンが出ていた。ストロベリームーンとは夏至の満月が赤味を帯びていることから西洋ではそう呼ばれている。
 一月遅れのストロベリームーンを見たことになるが、別に月がイチゴになったわけではない。夏至のころの月は仰角が約30°と低く、光の屈折によってイチゴ色に見えるだけだ。いわば色の屈折率によって生じる現象に過ぎない。

 それは錯覚でもなければ幻影でもない、まさしく光学的な現象そのものだ。しかし夏至(今年は6月21日木曜日)からこの一月余りに多くの人たちの人生が激変した。いうまでもない、豪雨災害に遭われた被災者たちの人生だ。
 古来より治世者の重大事は「治山 治水」だった。今もそれは変わりないはずだが、壊れたレコードのように毎年繰り返し同じニュースを聞いているような気がする。それほど日本は治山、治水が遅れているのだろうか。

 古来より川は洪水の都度流れを変えた。当時の人たちは河川とはそうしたものだと悲運にして家屋を流されても運命として受け入れていた。それは氾濫原が肥沃な土砂の堆積により、耕作地に適していたた、洪水も天の采配として甘受した。
 しかし現代社会で河川が洪水の都度流れを変えては堪ったものではない。社会インフラはもとより、土地ものものが個人資産に占める割合が大きく、そこに建てた家屋や田畑を失うことは人生を洗いざらい流されることでもあるからだ。

 治世者は洪水を防ぐために山に植林し、決壊しない堤を築いた。武田信玄が偉大なのは信玄堤を築いたからだ。しかし今月7日から9日にかけての豪雨により200名を上回る犠牲者が出た。それも最も安堵すべき自宅で被災された方々が大半という悲惨さだ。
 彼らは自身の暮らす地域がハザードマップで「危険」と指定されていたとしても、行政が「危険」と認定したのなら、必ず「危険」防止の対策なり、「危険」を減じる施設を設置しているものと思っている。

 しかし行政は「危険」を地域住民に「警告」しただけで、「危険」対策を行ったのではない、と説明している。ただ真備町の決壊した小田川の「危険」防止策として高梁川との合流地点の付け替え工事に今年の秋から入る予定だったという。
 安芸区の山麓土砂被災地に関しても、今年の二月に住宅地のすぐ上に砂防堰堤が完成したばかりだったという。しかし砂防堰堤の容量があまりに小さすぎた。崩落した土砂を受け止められないで、砂防堰堤を満杯にした土砂は住宅地を直撃した。

 政治家が選挙で幻想を振り撒くのは自由だ。「国土強靭化」だとか「地方創生」だとか言い触らして、東京生まれの東京育ちの候補者が地方で当選して国会議員になっている。実際には地方のことは丸で分っていない。
 自然災害は自然に起きる現象だ。それはある程度現代科学を以てすれば想定される現象でもある。その対策を政治は怠っていた。北朝鮮のミサイルで日本国民は一人も死んでいないが、国土強靭化を怠ったツケで国民は毎年災害で命を落とし、財産に甚大な損害を受けている。

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