安倍氏と加計氏は並んで国会の証人席に立つべきだ。
<学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部開設を巡る疑惑について、加計孝太郎理事長は十九日の記者会見で、ようやく口を開いた。しかし、新たなほころびが生じ、さらに疑念が増してきた。会見に参加できなかった本紙は翌日、加計氏に疑問をぶつけようと取材を申し込んだが、学園側は「会見が全て」と応じなかった。 (中沢誠)
二〇一五年二月二十五日に安倍晋三首相と面会したという愛媛県文書の記載は「部下のうそ」だと強調する加計氏は、会見で首相の関与を打ち消すのに懸命だった。「われわれは仕事のことは話すのはやめようというスタンスでやっている」「(首相は)こちらの話は興味ないと思う」
ところが、昨年七月の首相の国会答弁は異なる。「加計さんは時代のニーズに合わせて、学部や学科の新設に挑戦していきたいという趣旨のお話は聞いたことがございます」。首相は加計氏から学園の構想を聞いていたというのだ。
加計氏は「首相は興味ない」と言うが、首相は二〇一一年と一四年に学園傘下の大学の式典に出席。伊勢志摩サミット期間中の一六年五月には、教育学部開設の祝賀会にビデオメッセージまで送っている。
首相答弁との食い違いは、ほかにもある。
「首相と獣医学部の話を初めてしたのは昨年一月二十日以降か」との質問に、「そういうことだと思う」と答えた加計氏。今年五月の首相の国会答弁は「(加計氏と)昨年から今年については話をしておりません」だった。
加計氏の会見は開始の約二時間前、学園本部がある岡山市の地元記者クラブに通告。参加は加盟社にしか認めなかった。本紙はテレビやインターネットの中継で、会見の様子を取材することしかできなかった。
なぜ学園関係者だけ首相秘書官と三回も面会できたのか、なぜ獣医学部開設の具体的な助言を受けることができたのか、二月二十五日に首相と面会したのが「うそ」であれば、その日はどこで何をしていたのか-。加計氏に直接尋ねたかった質問や、会見を聞いても解消しなかった疑問、新たな矛盾を文書にまとめ、本紙は会見翌日、加計氏へのインタビューを申し込んだ。
学園は二十一日、ファクスで「従来より個別インタビューは受けていない」と回答。質問には一切答えず、「先日のインタビューで加計本人が報道機関に答えたことが全てであり、真摯(しんし)に対応したと認識している」としている>(以上「東京新聞」より引用)
上記引用記事だけでも加計孝太郎氏と安倍晋三氏との齟齬が存在することは明らかだ。なぜ齟齬が生じているのか、それは二人の話が嘘だからだ。
「腹心の友」とゴルフに興じたり、バーベキューを楽しんだり、会食したりして仕事の話を一切しないというのは不自然だ。もし加計孝太郎氏の話が本当だとしたら、二十年来の「腹心の友」が嘘になる。
政治家として殷賑を極めた総理大臣と、学校法人を複数経営する教育者ともあろうお歴々二人が一般人が見て「おかしい」と思われるアリバイを強弁するのは恥ずべきだ。真実を述べていれば、二人がばらばらに話しても祖語は生じない。
明らかに加計孝太郎氏と安倍晋三氏の話には無理がある。真実なら一致するはずの話がピタリと一致しない。高潔な人格者であるべき総理大臣と教育者の無様さを連日見せつけられる日本国民の一人として「いい加減にしろ」とジョイフル経営者一族の国会議員のように叫びたい心境だ。
加計孝太郎氏はマンマと獣医学部新設を勝ち得て100億円を超える補助金をせしめ、今後とも私学振興助成金を手にする。それも安倍氏との「腹心の友」だったから容易に出来たことだとしたら政治不信はこれに極まる。
安倍氏と加計氏は雁首を並べて国会の証人席に立つべきだ。そこで安倍氏の国会答弁と愛媛県から出たメモ書きなどを突き合わせ、あわせてお粗末な加計孝太郎氏の記者会見のやり直しの証言を国民は訊く権利を持つ。なぜなら加計学園の獣医学部の大部分は税により成り立っているからだ。