人は限りある命を生きている。

 西城某という歌手が亡くなった。63才の若さ(?)で亡くなったのを惜しむ声が多いようだが、人は誰もが限りある命を生きている。
 高杉晋作は27才で労咳のために亡くなったが、かれは生前「人は誰も春秋を生きる」といっている。寿命の長短はあるものの、人はすべからく春夏秋冬の四季を人生の中で過ごしている、という。

 人生の長短があろうとも、人は彼なりの春を謳歌し、夏の若芽の成長を経験し、夏の実りある季節を過ごし、そして冬枯れの荒野に一人佇む寂寥を経て命燃え尽きる、というのだ。まさしく高杉晋作も27才の人生の中で生き急ぐかのように四季を過ごした。
 人の命は永遠ではない。誰にも必ず死が訪れる。栄華に心酔して人の道を踏み外すのは愚かなことだ。生涯で使い切れないほどの富を得たとして何になるだろうか。「知足」という言葉を老子は教えている。足るを知る者は富む、ということだそうだ。

 日本にも似たような言葉がある。「起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半」というものだ。この言葉の出典は定かでない。ただ最後の「天下取っても二合半」は江戸時代に付け加えられたようだ。
 いかに豪邸を建てたとしても、人は起きていれば半畳しか使わないし、寝ても一畳しか必要でない。いかに天下人の権力で山海の珍味を食卓に調えようとも二合半で腹一杯になる。(江戸時代、人は一日二食で凡そ一人の成人男子が一日に五合のコメを食べていたという。だから一食は二合半となる)

 今を生きている我々も早晩必ず冥土へ旅立つ。それが命あるものの宿命だ。それにも拘らず、人は他人の命を縮めたり、果たしない欲望に憑りつかれたりする。
 私たちは限りある命をこの世に生かされている。それは次の世代へこの世を引き継ぐためだ。だからこそ私たちは日本を古来の伝統と大きく乖離した似非・日本に変造してはならない。「構造改革」と称する日本の伝統や文化を破壊する安倍自公政権を激しく私が批判する根拠はそこにある。

 高々後二十数年しか生きない安倍晋三氏が日本を英語文化圏に変造しようと策動していることを、私は憤りを持って批判する。世界のパワーゲームの中に日本を放り込もうとしている安倍晋三を政権から一日も早く引きずり降ろさなければならない。強欲な米国の1%の餌食に日本を供えようとする安倍氏とその仲間たちのグローバル化に私は憤りとともに反対する。

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