食糧安保への懸念が払拭されない限り、日本はTPPを批准すべきでない。

メキシコは26日までに、環太平洋連携協定(TPP)の新協定「TPP11」を批准した。3月に新協定に署名した日本を含めた11カ国の中で、国内手続きを終えたのはメキシコが初めて。協定は過半数の6カ国が国内の承認手続きを完了してから60日後に発効する。
 メキシコ上院は24日、賛成73、反対24、棄権4で新協定を承認した。同国では条約などの国際的な約束に関して上院に批准権がある。経済省は「(TPP11により)日本の農産品市場へのアクセスをいっそう深めることができる」と指摘した>(以上「時事通信」より引用)


 TPPであれFTAであれ、内実は決して「自由貿易協定」でないことを理解して頂きたい。たとえば農業分野で「自由貿易協定」なら日本は日本の農業を守るために関税を撤廃するのなら国内農業生産者に「所得補償」なり「生産補助金」の手当を行わなければ、国内農業生産者は農業を放棄せざるを得なくなるだろう。
 それも自由貿易だから仕方ないというのなら、自由貿易のために国民に対する食糧安全保障を政府は放棄しても構わない、というのだろうか。飢餓は一日たりとも猶予できない。政府には国民を餓死ない義務がある。

 米国は日本とFTAを締結して関税撤廃後に制限なしの農産物輸入を目論んでいる。果たして日本国民は安価なカリフォルニア米が日本の消費市場を席巻するのに拍手を送るのだろうか。
 しかし米国が飢饉に見舞われて食糧生産が低下した場合にも日本に大量の食糧を輸出するだろうか。まずは米国民の餓死を防ぐために禁輸措置を講じるだろう。結果として日本国民枷飢えることになる。

 食糧安保は絶対に譲ることは出来ない。その相手国が米国であっても、日本は決して譲歩してはならない。喫緊の時に、米国政府が日本国民の胃袋よりも米国民の胃袋を優先するのは当然だからだ。
 国際分業論は現状維持を前提とした脆いモザイクのようなものだ。ちょっとした事で世界の均衡が崩れてモザイクは瓦解する。国際分業全盛の現在だからこそ、日本は国際分業の脆さを自覚して備えを忘れてはならない。

 TPPは国際分業を関税撤廃の側面から推進するグローバル化の最たるものだ。イギリスの第一次第二次と起きた囲い込み運動の愚を日本で起こしてはならない。安倍自公政権がTPPを推進してトーマス・モアが「羊が人間を食べている」と評した本末転倒を日本で起こすつもりなら歴史に学ばない愚かな人たちだというしかない。
 金子みすゞが詩に描いた通り「みんな違って みんないい」状態が本来あるべき国際社会だ。各国の各国の文化があり、言語があり風俗があり慣習がある。それらを認め合い尊重しあうことが国際社会のあり方だ。

 共通言語を英語にしようという策動から小学低学年から英語教育を始める、というのに反対だ。小学低学年には小学低学年で学ぶべき日本語の世界がある。
 世界の言語の中で学術論文を母国語で書ける国はそんなに多くない。たとえば英語を公用語にしているフィリピンのタガログ語で学術論文を書くことは困難だろう。公平に評すなら最も多くの人類が話している言語は英語ではなく、スペイン語だ。学ぶべきはスペイン語かも知れないが、米国のポチ・日本は英語を選択するしかないのだろう。

 しかし何度もこのブログで書いたように、正式な会談や契約の席で日本人が英語を話すのは得策ではない。そうした場では自動翻訳機に任すべきだ。
 ネイティブ英語を日本人が話せないのは当たり前だ。トランプ氏のツイッターを見ても彼は難解な構文や言い回しを用いていない。その程度の会話で日常的な用が足せるのなら、日本の大学を出た知識があればいくらでも話せるはずだ。むしろ日本の教育では正式な日本語を徹底して教えるべきだ。

 TPPの非関税障壁で日本語を指摘されても日本政府は突っ撥ねることだ。日本人が日本語で話して何が悪い、と開き直ることだ。自動翻訳機が二秒のタイムラグで翻訳できるようになっている。英会話を幼少期から義務教育機関で教えることに私は反対する。
 日本政府はTPP批准に慎重であるべきだ。とくに食糧安保の懸念が払拭されない限り、TPP条約を批准してはならない。

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