周辺町村を潰すコンパクト・シティー構想に反対する。

��人口減時代に向けたコンパクトな街づくりが進まない。住宅や商業・公共施設を中心部に誘導する計画を作った自治体が、郊外の開発案件すべてを事実上黙認している実態が日本経済新聞の調べで判明した。3割の市町は郊外開発の規制を緩めている。人口が減るのに生活拠点が拡散すると財政負担が膨らむ。都市の衰退を避けるため、より効果的に街を集約する制度が必要になってきた>(以上「日経新聞」より引用)

 平成の大合併で周辺町村が中心の自治体に集約されて、それでなくても周辺町村の衰退は著し手のが現状だ。そして大合併時に合併協約で策定された合併後十年の人口増としていたものが、軒並み人口減になっている。
 合併前には周辺町村も役場があり、その地域の最大の職場になっていた。当時は農協も大合併を行う前で、それぞれの地域の若年層の雇用を行っていた。もちろん、特定郵便局も準公務員として若者たちを雇用していた。しかし「行政効率」を掛け声に実施された平成の大合併により周辺町村は大きな市の周辺部になり、国が進めるコンパクト・シティー構想で切り捨てられようとした。

 地方の中心市に事実上吸収合併された周辺町村に暮らすものとして、コンパクト・シティー構想に反対する。平成の大合併では「対等合併」で「サービスは高い方に、負担は低い方に」合わせる、という大前提を掲げていた。
 それは看板倒れになって、必ずサービスは低い方に、負担は高い方に合わせることになる、と警告していたが、多くの住民は「国の方針に従うべき」との脅迫観念から故郷の地方自治体としての独自性を放棄した。そして合併後まもなく打ち出されたコンパクト・シティー構想により周辺町村は切り捨てられようとした。

 日経新聞はコンパクト・シティー構想が進まないと御不満のようだが、周辺町村が切り捨てられたなら山野は荒れ果てて水源管理や上流の河川管理もままならなくなる。そうすると下流域にある中心の市の河川は流入する土砂や流木などにより管理にコストがかかるようになるだけでなく、大雨による水害を頻繁にもたらすようになる。
 そして周辺部の道路や橋梁の維持も困難になり、通行止めの袋小路が増えてくる。周辺町村の荒廃は国が目論むように周辺部の人口減を自然減以上に社会減をもたらすようになるが、そうすると廃屋や原野に帰した田畑が目立つようになる。

 そのように国土全体の荒廃を招きかねないコンパクト・シティー構想に良いところは何もない。ただ「行政効率」を高めるために周辺住民は中心部の市街地に引っ越してきて暮らせばよい、という発想は国民一人一人を見ていない。
 特殊出生率が2.1を下回っている限り少子化は避けて通れないが、江戸時代の人口3000万人に減少するまでには暫く時間がある。評論家たちは人口が現在の半分になると脅しているが、それでも6000万人で、それは明治初期の人口と同じだ。日本が近代国家へと飛躍していた当時の人口だ。

 政府が誘導した平成の大合併は明らかに大失敗だった。それにより周辺町村は切り捨てられ、山野や耕作地などの良好な国土維持が困難になった。
 江戸時代から存在していた町村を潰さなければ少子化社会に対応できない、という政府の発想は机上の空論だ。3000万人の人口でも全国の町村は存続して国土保全に資していた。山野の急激な荒廃は平成の大合併がもたらした人災以外の何ものでもない。

 歴史に学ばない愚かなマクロ経済学者の使嗾に踊らされた官僚と政治家たちによる平成の大合併が何をもたらしているか、大合併から十年を経過した今こそ検証が必要だ。地政学的・歴史的観点から設けられていた「郡」区分を無視した愚かなジクソー・パズル合わせのような市町村の行政区分の改廃が何をもたらしているか、平成の大合併を推進した連中は息のあるうちに彼らが成した愚行の結果をその目で見るが良い。
 地方の中心市は後背地たる町村を失ってさらにドーナツ現象が拡大しているのが現実だ。中心市街地を支えていたのは周辺町村だということを失念した数合わせにより金の卵を産む鳥を殺してしまった。その結果を篤と見るが良い。


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