野党はいつまで小異を取って、大同を捨てているのか。

��民進党の大塚耕平代表は29日の常任幹事会で、連携相手の党名を明示せずに新党の結成を呼びかける方針を提案して了承された。大塚氏ら執行部は、民進の党組織を存続させ、希望の党を吸収合併して党名を変更する案を想定。だが昨年の衆院選で民進系候補者を選別した希望への反感はなお強い。立憲民主党との連携を求める声も多く、民進執行部が希望との新党を先行させれば、民進党が再分裂する可能性もある>(以上「毎日新聞」より引用)

 どこまで続く泥濘ゾ、という感が強くてウンザリする。野党が連携して自公維与党に対抗すべきを、オウンゴールで自民に大勝させた「希望の党」騒動を繰り返すつもりなのか。
 官邸主導で「構造改革」という米国から要望された改革を断行している安倍自公政権を倒すのが急務ではないか。そのために多少の相違は堪忍して大同小異路線で行くべき、というのは当たり前ではないか。

 人心面の如し、で人はそれぞれ顔が異なるように考え方も異なる。そうした異なる部分があっても、安倍自公政権の密室官邸政治を終わらせるという大同に着くべきと考えるなら小異を捨てて連携すべきではないか。
 そのための旗印は「国民の生活が第一」だ。株主配当最優先の企業利益優先策は労働者の実質賃金を引き下げただけだ。今も外国労働者を体の良い「実習生」という名で大量「移民」させようとしているが、外国人労働移民策を採った欧州諸国はどうなっているか。

 少子高齢化で労働力不足が避けられないから外国労働移民を促進する、というのは現状の固定化に他ならない。必ずAI化が進みレジなどの無人化は目に見えている。トラック運転手なども長距離は列車のコンテナ輸送へとAI化で簡単に代替されるだろう。
 高速道路をハンドルを握って乗用車で疾走するのも時代遅れになる日も近いだろう。自動車は自動車を乗せる無蓋車に乗せて、運転手たちは寝台列車や食堂車に乗って寛いで目的地へ向かう、というスタイルが定着する日も近いだろう。そのためには現在のバカ高い運賃が問題だが、費用対効果を算定すれば高速道路を燃料を消費して走るよりも安くつくように出来るだろう。

 日本礼賛番組「日本のココが素晴らしい」を今後とも持続させるにはAI化は避けられない。ではいかなるAI化なのか、というと上記で示したように「省力化」「安全化」が基本的なAI導入の原則にならなければならない。
 日本の政治が余りに基本的な「国民の生活が第一」からかけ離れ過ぎた。それは日本のマスメディアの責任が大きい。日本国民が政治概念を理解する能力を有していることから、プロパガンダを巧みに織り交ぜた尤もらしい理屈を展開すればコロッと騙せる所に目を付けて騙しまくって来た。

 たとえば、それが日本の国益を害すことでも、何となく心地よい言葉、たとえば「地球環境にやさしい」というニュアンスだけの概念でCO2温暖化という非科学的な論理をイワシの頭のように信じ込ませることに成功した。
 それが曲がり曲がって日本の自動車産業を攻撃する手段に使われることになっても、まだCO2温暖化を信仰している。これほど愚かな国民が世界にいるだろうか。

 政治家は国民から負託を受けてバッジを付けている。基本的に「国民の生活が第一」のために尽力するのが本筋だ。決して米国の1%のために尽力して日本国民の食糧安全保障を蔑ろにしてはならない。
 戦勝国クラブの軍産共同体のために日本も一緒になって「戦争ごっこ」と「玩具の兵隊ゴッコ」にウツツを抜かしてはならない。軍産共同体にとって戦争は必要だし、戦争の種を尽きさせては自らの終焉を意味することになる。だから彼らは決して軍縮をしないし、世界平和が到来することを望んでいない。

 だが、日本はそうではない。軍産共同体・産業よりも民需産業の方が圧倒的に多い。戦争よりも平和の方が日本の企業は活躍できる。
 だから野党連合は愚直なまでに「国民の生活が第一」の政治を追求すべきだ。小異を捨てて大同につくのは大人の生き方だ。いつまでも青いガキであってはならない。


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