合区解消は決してジコチューではない。

��まるで自民党の自民党による自民党のための憲法改正である。同党憲法改正推進本部がまとめた選挙制度に関する改憲案はあまりに自民党に有利な制度設計であり、到底受け入れがたい。

 1票の格差が広がり、都道府県単位だった参院の選挙区の一部が2016年の参院選から合区された。地元出身者を送り出せない県ができ、過疎地の声が国政に届きにくくなったというのが自民党の言い分である。

 地域振興が国政の重要課題であることは認める。だが、合区を解消すれば万事解決というのは短絡的な発想だ。参院議員を送り出せなかった鳥取や高知にだって衆院の選挙区が2つずつある。

 近年の国政選挙を振り返ると、衆院選は1党で過半数を占めることが多い一方、参院選はしばしば与野党が拮抗する。複数の政党による連立時代が長く続いているのは参院の議席構成の結果だ。

 参院で合区の対象となった選挙区はいずれも自民党の金城湯池である。もしも、自民案が実現したら、同党はかなりの確率で議席増が望める。1党支配の復活に向けた党利党略が透けて見える。同じ与党の公明党でさえ、内容を疑問視している。

 そもそも憲法43条は国会議員を「全国民を代表する」と定める。一部の議員を特定地域の利益代表と位置付けるとすれば、憲法の基本原理の変更になる。「各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとする」と書き足せば、こと足れりではあるまい。

 どうしても参院を「地方代表の府」にしたいならば、法案審議などで衆院と同等の力を持つ参院の権限を大幅に弱め、全国知事会のような参考意見を述べる組織にすべきだ。その覚悟が自民党にあるだろうか。

 自民案は衆院選の区割りの際、市区町村を原則分割してはならないとの趣旨の規定も盛り込んだ。これでは衆院の1票の格差を2倍内にするのはかなり難しくなる。こちらも大問題である>(以上「日経新聞」より引用)


 衆議院が首班指名の優先や解散などで政権の影響をより強く反映するのに対して、参議院は見識や全国洩れなく国民の代表としてあるべき、と考えるのが一票の平等という概念に「地域割り」という概念も併せ持つものがあるべきだというのが合区解消だ。

 その代わり参議院では地方議員のようにその地域に暮らすことが前提とされ、衆議院のような全国の何処に住民票があっても立候補できる制度は採用しない。現在の国会議員の多くは東京生まれの東京育ちが父や祖父などの出身地で立候補し、選挙の時だけ立候補した土地へ入り「故郷の皆様」とやるのは余りに有権者を馬鹿にしてはいないだろうか。


 しかし国政に携わる国会議員だから全国の何処に住民票があろうとも構わない、というのなら選挙区を決める必要はないことにならないだろうか。全国一区にして得票順に衆議院の定員まで「当選」とすれば良い。

 しかしそれでは全国の国民からくまなく「代表」と認識され難いし、全国的な知名度か組織がなければ立候補すら覚束なくなる。つまり国会がますますテレビ・タレント化するのは目に見えている。


 地域で頑張っている人たちが報われにくいのが現代社会だ。その代わり首都圏に暮らしてちょっとした特異性かアイデアさえあればテレビが取り上げ、たちまち有名人となりその御仁の適性や見識とは関係なく国会議員に当選するバカバカしさに心ある有権者はウンザリしてはいないだろうか。

 なぜ地方の深刻な状況に日々真摯に向き合っている人たちが無視されて、落下傘候補のような東京からポッとやって来た世襲候補やタレント候補が当選するという浅墓さを絵に描いたような状態に国会がなっている。


 そうした地方の問題に真摯に取り組んでいない「有名人」が簡単に当選するバカバカしい状況を排除し、地方の声をしっかりと踏まえた上で国政の場で審議する参議院がある方が良いのではないだろうか。衆議院と参議院とでは国会議員の構成がまるで異なる方が望ましいのは当然のことではないだろうか。日経新聞の方が東京目線で地方を見下すジコチューそのものと思える。



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