単位運転者数では老人(75才以上)よりも20代の方が事故率は高い。
老人から運転免許を取り上げようとするマスメディアによるプロパガンダが激しい。恰もすべての交通事故が高齢者が運転する自動車が起こしているかのような、かつての老人運転者が起こした暴走事故を繰り返し放映している。
そして75才を越えれば運転免許更新時に認知症テストを行い、それに引っかかれば医師の診察を受けて「認知症」と診断されると運転免許証を取り上げられるという。突如として生活の足を奪われる老人の危機感を想像したことがないようだ。
それでは老人が運転する自動車は危険なのか、というと単位運転者数当たり口頭自己数で比較すると、確かに60才を過ぎると徐々に事故は増え始めるが、それほど顕著な増え方ではない。単位運転者数で比較すれば20代の事故率の方が圧倒的に多い。
認知症患者がハンドルを握るのはもちろん論外だが、そうでなければ「自動運転自動車」の早期完成を自動車製造業者に督励するのが筋ではないだろうか。自動運転の完成前でも「自動停止装置」をすべての自動車に装備するのを義務付けるべきではないだろうか。
自動運転自動車が完成するまでまつのではなく、自動停止装置ならそれほど困難ではないし、一部自動車では標準装備されている。それだけでも随分と自動車は走る凶器の汚名を晴らすことが出来るのではないだろうか。
老人から自動車を取り上げるのが「優しい社会」ではない。自動車が人を忌避殺す走る凶器のまま放置していた行政や自動車製造業者にこそ責任がある。自動車という高額な工業製品を利用している最中に事故の当事者になる、というのは工業製品として未完成品だというべきだ。
マスメディアは運転免許の返納こそが正しい選択だ、とプロパガンダを老人に押し付けるが、老人にとっては大迷惑だ。運転免許証を返納して悠々自適の暮らしを送れる老人は極めて少数だ。
多くの老人は少ない年金を補うために、死ぬまで老体を酷使して働かざるを得ない。働く者にとって自動車の運転は必須だ。暮らせない年金を放置している政府の責任追及が、この議論で皆無なのはどうしてだろうか。