幼児教育無償化よりも「子育て手当」の拡充を。
政府は九月、二〇年度に待機児童ゼロ実現には、一七年度末に三百万人分の受け皿が整備される前提で、あと三十二万人分が必要と設定。直近の認可保育施設への申込率を根拠に、二十五~四十四歳の女性就業率が80%になっても対応できる数字と説明する。
これに対し、野村総研が五月に公表した試算では、二百八十九万二千人分の受け皿が整備済みだとすると、追加で八十八万六千人分が必要と指摘。
保護者らに実施した独自のアンケートも踏まえ、施設への申し込みを断念した人や育児休暇中の人など、政府が対象にしていない層も算入している。整備済みとした母数は違うが、二倍をはるかに超える差につながった。
政府が十四日に開いた子ども・子育て会議では、民間の委員が野村総研の数字を取り上げ、三十二万人の根拠を示すよう求めた。
幼児教育・保育無償化を議論した十五日の自民党会合には、野村総研の武田佳奈・上級コンサルタントが出席し、八十八万人の根拠を説明。議員側からは「無償化より待機児童解消を優先すべきだ」との意見が出た。厚生労働省の担当者は、野村総研との差を「とらえ方の違い」と説明した。
武田氏は取材に、政府目標について「実際には申し込む前に断念している親もいる。実態を十分に把握できているのかと思わざるを得ない」と疑問視。アンケートでは、保育施設の利用を希望しながら申し込む前にあきらめた保護者が三割近くに上ったと指摘し「国や企業からみると労働力を失っていることを意味する。見過ごせるはずのないものだ」と話した。
◆「達成目指す」所信表明
安倍晋三首相は十七日、衆参両院の本会議で所信表明演説を行い、二〇二〇年度までに三十二万人分の保育の受け皿を整備し、待機児童を解消する目標の達成を目指す考えを重ねて示した。「安倍内閣の決意は揺るがない」と強調した。
首相は、日本の少子高齢化を北朝鮮情勢と並べて「国難とも呼ぶべき課題」と指摘。幼児教育・保育無償化にも触れ「一気に進める。二〇年度までに、三歳から五歳まで、全ての子どもたちの費用を無償化する」と語った>(以上「東京新聞」より引用)
幼児教育化粧化を実施すれば幼稚園に入れない世帯との格差が生じる、と以前ブログに書いた。東京新聞では野村総研の試算で待機児童数は政府発表32万人の倍はいる、と主張しているという。野村総研では280万人分の受け皿が整備済みで、あと80万余人分の整備が必要だとしている。
なぜそうなるか。理由は極めて簡単だ。なぜなら幼児教育が無償なら幼児を保育園に預けて働きたいと思う女性がいるからだ。地方自死体によって異なるが、保育園料は三万円から五万円以上と異常に高額だから勤めを止めて自分たちで世話をしている家庭がまだまだ多くみられるからだ。
三世代同居で祖父母に預けている家庭でも、幼児教育が無償になるなら祖父母ではなく、幼児教育の面からも保育園に預けたいと思うのは当たり前だ。当然、現行把握している待機児童32万人の倍程度の需要が見込まれると予測して制度設計すべきだろう。
そうすると「無償化より待機児童解消を優先すべきだ」という意見が議員側から出たというが、安倍氏は本会議で2020年度までに32万人分の保育の受け皿を整備し、待機児童の解消を目指す考えを示して「安倍内閣の決意は揺るがない」と強調したというが、彼の決意など何の公約にもならない。同時に「三歳から五歳まですべての子供たちの費用を無償化する」とした安倍氏の言葉と野村総研の予測といかにして整合性を取るつもりだろうか。
条件次第で数字は動く、という現実を官僚や安倍氏は理解できてないようだ。それは財務官僚にもいえる。現行の税収では2020年度までPB(プライマリー・バランス)達成が困難だから増税するしかない、というのは日本経済を破壊する愚かな考え方だ。
PB達成して財政は良くなったが、国民は貧困化した、というのでは本末転倒だ。だが財務官僚のPB理論に押し切られている安倍自公政権の「財政縮減」策や「代替財源」がなければ新規事業はやらない、というのでは日本は確実にデフレ下経済の下でGDP拡大が足踏みして、世界平均約3%から置き去りにされて、後進国並みの国家に転落してしまうだろう。そうすると軍事拡大の中国に圧倒されて、近い将来に日本が中国の版図に呑み込まれかねない。まさしく亡国の財務省だ。
幼児教育無償化などといった制度に補助金を出すのは余り感心しない。それは上述の論理から明らかなように、保育園に通わせられる世帯と通わせられない世帯とに無償化補助金分だけの政府の恩恵に格差が生じるからだ。
なぜ個人給付の「子育て手当」を拡充して、保育園に入所させて「子育て手当」をそっちへ支払うか、それとも祖父母に預けて祖父母に支払うか、それとも休職して「子育て手当」を家庭の収入とするか、各自各様の選択に任せる、という政策がなぜ実施できないのだろうか。日本という国は政府・官僚が全知・全能であって、国民は子育ての選択すら与えられない愚かな存在だとでもいうのだろうか。