自国第一主義がなぜ悪い。
本朝読売新聞11面に「報道齢面を考える」と称する意味不明な座談会記事が全面に掲載されている。その基調論評として「ポピュリズム的政治深刻」との見出しが躍っている。
果たして米国のトランプ氏や英国のEU離脱、などがポピュリズムとして括られて批判されている。読売新聞は果たして「読者」は誰なのか、考えたことがあるのだろうか。
読売新聞の読者の大半は名もなき一般国民のはずだ。官公庁や大多国籍企業や世界を股に掛ける投機家たちも読者の一端を成しているかも知れないが、それはほんの誤差の範囲に過ぎないだろう。
だとすれば読売新聞の立つべき立場は「国民の側」でなければならないのは自明の理だ。それも名もなき一般国民の側だ。
真理などというものは立つ立場によって異なる。それは本物の「真理」があったとして、それを各自が認識するのは各自の受像体、つまり認識すべき頭脳の知的水準や経験蓄積や論理の構築手法などによって認識する鏡が個々人によって異なるから、真理は人の数ほどあることになる。
だからグローバル化が人類平和実現の途だと主張する人もいれば、個々人の自由は多少制限してても国家規律を守るべきだ、と主張する人もいる。それぞれが日本では憲法で思想信条の自由が保障されていて、まさしく自由だ。
だから読売新聞が反・グローバル化をポピュリズムだと国民に刷り込もうとするのも自由だが、それなら私はグローバル化は「全体主義者」だと激しく批判するしかない。多国籍企業が国際分業して最大利益を実現するために自国の国民経済がどうなろうと知ったことではない、という投資行動を徹底的に批判する。彼らは守銭奴であり、売国奴たちだ、と。
読売新聞もグローバル「構造改革」推進の立場に立つ反・国民的な報道機関であり、安倍自公「全体主義者」集団を支援する勢力の一員である、との批判を展開するしかない。
経営者と労働者は対等な立場でないから、労働三権を制定し労働者の権利を守ろうとしてきた。しかし「構造改革」論者たちは労働者の「自由な働き方」というマヤカシ文句により、派遣業法を野放図に緩和してきた。結果として非正規社員が労働人口の半数に迫る勢いで増加し、労働組合組織率は20%を割り込んで久しい。
結果として労働者が手にする実質所得は安倍自公政権下の五年間で10%も減少した。それがいかに深刻なことか、読売新聞社の各位はご存知ないようだ。だから平気な顔をして安倍政権のヨイショが出来るし、米国のジャパンハンドラーたちのお先棒が担げるのだ。
今こそ日本に必要な政治は「国民の生活が第一」の政治だ。読売新聞が批判する「自国第一主義」こそが必要であって、米国に51兆円投資して米国に70万人分の雇用を創出する、という安倍氏のトランプ氏に対する公約は日本にこそ必要だ。
人手不足に70万人もの雇用創出は必要なのか、という人がいれば余程お目出度いというしかない。今後ai化により急速にレジは無人化し、全国数万店のコンビニのバイトは不要になるだろう。もちろん、全国数万店のスーパーのレジも同様だ。だから日本に新規雇用創出が必要なのだ。
急速なai化は様々な単純労働を無人化するだろう。そうすれば廉価な労働力を求めて海外移転した企業は無駄な投資をしたことに気付くだろう。もっと国内の労働者に投資していれば良かった、と。
だから「国民の生活が第一」の政治を今から推進すべきだと主張するのだ。なにもポピュリズムではない。極めて現実的な理に適った政策だ。そのことが読売新聞にも対談に呼ばれた諸氏もお解りでない。