労基法を無視する前近代的な判決だ。

<東京メトロの駅売店で働く契約社員ら女性4人が正社員との賃金格差が不当として、勤務先のメトロ子会社に差額分など計約4500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、東京地裁であった。吉田徹裁判長は「給与や賞与、住宅手当などの格差は不合理ではない」として請求の大半を棄却した。

 判決理由で吉田裁判長は、売店で働く正社員は一部に限られ、契約社員とは業務内容や責任の程度、配置転換の有無が異なると指摘。「長期雇用を前提に、正社員の賃金や福利厚生を手厚くする会社の判断には合理性がある」と述べた。

 正社員との残業代の差は不合理と判断し、原告1人に約4千円を支払うよう会社側に命じた。

 2013年施行の改正労働契約法は、有期契約を理由に正社員との不合理な労働条件の差を設けることを禁じた。原告は「仕事内容が同じなのに賃金が違いすぎる」として同法違反を主張した>(以上「日経新聞」より引用)

 同一労働同一賃金、という前提を無視する判決を言い渡すとはいつの時代のことかと驚く。内容を読むとさらに驚き、怒りすら覚える。
 東京メトロの駅販売店で働く契約社員が正社員と比して賃金格差があるとして差額分の請求するのは当然の権利だ。それに対して、正社員の「責任」や「配置転換」などがあるから、賃金格差があるのはやむを得ないという。それなら派遣社員は「責任」がなく、「配置転換」もないとでもいうのだろうか。

 さらに正社員は安定した長期雇用であるのに対して、派遣社員は不安定な短期雇用でさらに福祉厚生施設がないなど、賃金以外にも格差がある。そもそも同一労働で雇用体系の異なる社員が働くのがおかしい。
 一方を正社員と称し、一方を派遣と称するのは制度として格差を固定化するもの以外の何ものでもない。そうした悪法を制定した政治家たちに猛省を促したい。

 派遣業法の規制緩和という改悪は「働き方の自由化」と称して、いかにも労働者側の選択肢が広がるかのような幻想を政治家が口にし、マスメディアも「働き方の自由化」を歓迎する「街の声」を取り上げて拡散し国民に刷り込む、という手法で強行してきた。
 しかし実際は労働者側の「働き方の自由化」ではなく、雇用者側の「雇用の自由化」を促進しただけだ。そこには労働の「切り売り」を労働者に強要し、ひどい場合は「日雇い派遣」という実態まで存在する。

 そうした派遣社員に安定した明日の暮らしを見通すことは出来ず、従って結婚や出産を躊躇させる大きな原因になっている。日本社会を破壊しているのは日本の愚かな政治家たちと、それに協力する批判精神なきマスメディアだ。
 かつて終身雇用が常識の時代に日本は高度経済成長したことを忘れてはならない。パートや派遣という言葉が定着してきたここ二十年ほどは「失われた20年」といわれ経済の停滞を我々は経験している。

 企業は人なりというのは比喩や例えではない。まさしく企業は人なり、で技術や伝統は人によって継承される。企業力の大半は社員の熟練度と改善心によるものだ。
 社員を労働の「時間買い」とみなす会社では技術の継承は困難で、やがて企業力が衰退する運命にある。経営者が気付いたときは既に技術が失われた時で、遅きに失するのは間違いないだろう。

 それにしても近頃の裁判には首をかしげる判決が多すぎる。いつの時代の裁判かと怒りすら覚える類のものが多くないだろうか。
 政権に迎合し企業家に迎合する判決で国民の権利は守れない。さすがは「違憲」法の制定に際して最高裁は会見すら開かないし、一言も発しないというので憲法の番人は番小屋から逃亡して高給だけ食んでいるのだから、下々の地裁判事たちが碌でもないのも頷ける。


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