防衛省は自衛隊を軍隊にしたいのだろうが、それは「違憲」だ。

<南スーダンの国連平和維持活動(PKO)をめぐり、陸上自衛隊の派遣部隊の2016年7月9日の「日報」に、首都ジュバの様子について「戦闘」という表現があることが新たにわかった。防衛省が13日、同月7~9日の日報を公表。同省が今月7日に発表した日報と同様の表現があった。

 派遣部隊の日報をめぐっては、ジャーナリストが「南スーダン派遣施設隊が現地時間で2016年7月7日から12日までに作成した日報」を開示請求したが、昨年12月、「廃棄」扱いで不開示となった。その後、防衛省は電子データが見つかったとして公表。「戦闘」という表記があったため、現地情勢がPKO派遣要件を満たしていないなどと野党が追及。文書の取り扱いについても問題視されている。

 新たな日報は、民進党の要求を受けて同省が13日に開示。16年7月9日の日報では「8日夕、ジュバにおいてSPLA(大統領派)とSPLA―iO(前副大統領派)との戦闘が生起した模様。細部経緯は不明」と記載。さらに「(現地報道によると)戦闘により、双方合わせて約150名の死傷者が発生している模様」「(両派の)抗争は抑制されておらず、更なる抗争の悪化に注意が必要」との記述もあった>(以上「朝日新聞」より引用)

 自衛隊PKO国連平和維持活動)に参加する際の条件として五原則を定めている。
(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること、
(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること、
(3)中立的立場を厳守すること、
(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること、
(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること、
の5項目で、それぞれPKO協力法に盛り込まれている。
 PKO五原則に南スーダンの現状を照らし合わせたなら、明らかにPKO五原則に反している。だから防衛省は現地から上がって来た「日報」を破棄し、「現地からの報告はなかった」として戦闘状態の認識をしながらもPKO派遣を継続している。

 それを防衛省の暴走といわずして、何といえば良いのだろうか。安倍氏は「戦死者が出れば辞任する」と自身の首相としての地位と自衛隊員の命を同等とするかのような発言をしている。それこそ人命を軽視した発言ではないだろうか。
 政府軍と反・政府軍とが戦闘を繰り返し、大勢の市民を虐殺している現状は「悲惨」の一言に尽きるが、その一方の立場に立ってもう一方を攻撃するのはPKOの活動範疇を逸脱している。

 市民を殺害する残虐行為は許されるものではないが、いずれの勢力を政権として認めるかは南スーダンの人たちが決めることだ。アフリカ諸国の内部対立は部族間対立に根差している。
 けっして武力による解決を容認するものではないが、欧州列強がアフリカを植民地支配する際に部族や現地の地政学的見地を無視して、勝手に国境線を幾何学的に引いたのが各地の紛争の火種となっている。欧州列強は自分たちの植民地支配で収奪するだけ収奪して、後始末は何もしないでアフリカ諸部族の民族意識の高まりから植民地支配を放棄して撤退した。そのツケが未だにアフリカ諸国を苦しめている。

 いわばアフリカは南北春秋の中国古代の状況にある。民族や部族がそれぞれの生活圏を賭して戦っている。その戦いを誘発しているのは欧州列強の植民地支配の残滓だ。
 欧州列強は積年のツケを支払うべきだ。スペインは西海岸地域を350年以上も植民地支配した。他の英国や仏国やポルトガルやベルギーなど、欧州列強の近代化を支えたのは収奪した植民地の富だ。そうした真摯な反省が欧米列強にあるだろうか。

 日本は他国や他民族を植民地支配したことはない。アジアや太平洋諸国を植民地支配していた欧米列強と戦った歴史はある。その日本が「国連」という名の下に「戦勝国クラブ」の一員としてかつての植民地の部族間戦闘に関与すべきではない。それはかつてアフリカを植民と支配していた欧州列強の責任だ。彼らの過酷な植民地支配が現在まで尾を引いている。
 日本はPKO五原則に照らして、速やかに南スーダンから撤退すべきだ。安倍氏の首相辞任と自衛隊員の命と引き換えでは話にならない。そうした事態が起きる前に、自衛隊はその名の通り自営の軍隊として、海外から撤退すべきだ。


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