木製のジャングルジムに木屑を詰めたモノが「アート」か。

 なんとも嫌な事故だ。五歳の幼児が焼死した神宮外苑のデザインウィークでの事故の続報を見て、つくづくそう思った。
 日本工業大学の出展したものだというが、何処がどのような「デザイン」で、いかなる「アート」があるというのだろうか。なんとも安直な代物で、発想が安直なだけでなく、その仕出かした事故までも「発熱電球で発火するとは思わなかった」という程度の認識でしかないというのだから驚きだ。

 工業デザイン、というのなら使用者にその利便性を最大限発揮する用途に合致したもので、なおかつ視覚的にも素晴らしいものでなければならない。新幹線がなぜ素晴らしいのか、それは機能性と同時に視覚的にも究極のデザインだからだ。
 ひるがえって、出展していた木製のジャングルジムに木屑を張り付けた代物がいかなる用途に向いたデザインで、いかなる視覚的効果をもたらすものだったのか、作成した学生たちと指導教官に説明して頂きたい。

 そして白熱球に木屑を振り掛けて連続通電し、一昼夜に相当する12時間の実験を彼らは事前に実施したのだろうか。そして白熱電球に木屑を振り掛けて12時間連続通電しても発火しないという確証を得て、しかるべきジャングルジムと電球と木屑という意味不明な「デザイン・アート」を出展したのだろうか。
 そうした検証もなく安易な気持ちで作ったというのなら、彼らは大学で工業デザインの何を学んだというのだろうか。利用する人の生活や暮らしを豊かにする工業製品を創造する学問を工業大学で主として学んでいたのなら、今回のような痛ましい事故は決して起きなかったはずだ。いや、決して起こしてはならない事故だったはずだ。

 昨今、安易に「デザイン」や「アート」という言葉が使われ過ぎているような気がする。新国立競技場のやり直し設計に関しても、高名な設計士の作だというが、なんとも愚劣な木組みの屋根もない、聖火台もない、そして不審火でもあれば一体どれほどの観客が犠牲になるのかゾッとする競技場だ。
 やり直しで採用されたエンブレムにしても、葬儀場のマークかと思わざるを得ない代物だ。なぜ招致の段階で用いられた桜の花弁で輪を作ったエンブレムの延長上のものにしなかったのだろうか。

 デザインやアートが劣化していると感じてしまうのは私だけだろうか。余りに安易に「アート」という言葉を使い過ぎるような気がする。そしてついに、デザインという名の下に死亡事故を起こしてしまった。工業デザインの対極にあるのが「死亡事故」だ。
 政治でも安倍自公政権とその仲間たちは売国TPPを簡単に委員会で「強行採決」してしまった。彼らは6000ページに及ぶ英語の前文の完訳を精読した上で、審議に臨んでいるのだろうか。安倍氏をはじめとする政治家たちも、また安易に過ぎる。米国の1%に奉仕するだけの、TPPを実施して日本国民に何も良いことのない条約だということを理解したうえで、強行したのだろうか。

 この国は持ち場持ち場の責任者たちがすべていい加減になっていると思えてならない。安易に「加速する」だの「完全にコントロールしている」だの「アベノミクスを加速する」だのと、意味不明の言葉を口先で操って国民を騙している。
 木製のジャングルジムに木屑を詰めたモノが「デザイン」で「アート」なのか。余り人を馬鹿にしない方が良い。


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