ポピュリズムもまた民主主義だ。

<トランプ次期米大統領の動向に世界の注目が集まるなか、1月で退任するオバマ大統領が任期中最後の外遊に向かった。16日にはギリシャの首都アテネで演説し、グローバル化に伴って生じる「不公正の感覚が民主主義にとって最大の挑戦となっている」と強調。人々の不満につけ込むナショナリズムやポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭に警鐘を鳴らした。

 約1時間の演説でオバマ氏は「先進国では左派、右派の双方で移民を押し戻そうという動きがある」と懸念を表明した。表現の自由、法の下の平等など民主主義の基本的な価値観に立ち返り、市民が感じる疎外感を取り除く努力が不可欠との考えを示した>(以上「日経新聞」より引用)

 トランプ氏が選ばれた大統領選挙がポピュリズムの「弊害」であるかのようにオバマ氏は述べているが、当のオバマ氏も「Yes I can」というスローガンで選挙民に「変革」を期待させたが、貧困化する米国の多数派を形成する中流階層に対して、何もできなかった。そうした意味でオバマ氏もまたポピュリズムの政治家だったと批判せざるを得ない。
 さらに言及すれば、オバマ氏は一期目の任期当初に核廃絶を宣言してノーベル平和賞を受賞したが、彼の任期八年間に核は縮小よりも拡散の方向だったことも指摘しておかなければならない。それはオバマ米国政府がイランの核を認め、北朝鮮の核開発を止められなかったことが何よりの証拠だ。

 ポピュリズムが民主主義を歪める、という批判は絶えずある。日本でもグローバル化を推進して「構造改革」の痛みに耐えることが社会を前進させることだ、という意味不明なサディズムが財務官僚と御用マスメディアを中心に蔓延している。それは果たして正しいことなのだろうか。
 国民が「国民の生活が第一」の政治を政府に求めるのは「卑しい」ことなのだろうか。「国民の生活が第一」の政策を掲げるのは邪なポピュリズムなのだろうか。

 読売新聞はトランプ氏を「大衆迎合」だと批判したが、大衆迎合の政治が批判されて、1%のための政治が正しいというのは民主主義として変ではないだろうか。
 所得格差のみならず資産格差が拡大の一途の現代社会制度のあり方は正しいとは思えない。人は生まれながらにして「相続財産」により不平等というのはいかがなものだろうか。

 教育の機会均等を謳うのなら、大学教育まですべて無料でなければならない。少なくとも国公立は無料でなければならない。私学は私企業による経営だから利益を出すために授業料が高額であっても仕方ない。しかし国公立は能力のある国民に平等に進学の機会が与えられていなければならない。
 それはポピュリズムではなく、平等を謳った憲法規定に合致するものだ。公的年金もまた加入する制度により支給額が異なる、というのも解せない。公務員なら多く支給し、国民年金なら生活保護費以下でも良い、というのは憲法の平等の理念に反する。

 それらはポピュリズムではない。現行規定が誤っているから、既得権をなくして「法の下、国民は平等」に扱えという主張に他ならない。公的年金の制度による支給額の大幅な格差は憲法違反の疑いが濃厚だ。
 トランプ氏が「公共事業を拡大して失業をなくす」と主張するのは、オバマ氏の空振りに終わった「グリーンニューディール」と何処が異なるというのだろうか。オバマ氏が1%の奉仕者として一握りの多国籍業経営者やウォール街の1%に利益のあるTPPに前のめりだったことよりも、トランプ氏の「海外移転した米国企業を米国に取り戻す」という主張の方が正しいだろう。

 去りゆく大統領が次期大統領を「ポピュリズム」だと批判するのは天に唾するものだ。静かに堂々と幕引きをする方が、人として何より大事だ。


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