「駆け付け警護」は憲法で禁止する武力の行使に他ならない。

<南スーダンに派遣されるのは、陸自第9師団(青森市)を中心とする交代部隊。20日の出発を前にした緊張感の中で、青森駐屯地の隊員、家族らには不安がよぎる。

 「相手を殺し、逆に殺されることになるのでは」。孫が師団にいる青森市の女性(79)は表情を曇らせる。入隊直後の孫は「門限が厳しい」と自衛隊での生活を自分から語ってくれていた。だが、今夏の盆休みに顔を見せた時、「(南スーダンに)派遣されるのか」と聞くと、スマートフォンの画面を見つめたまま「何も聞いていない」とぽつりと答えた。それっきり会話はなくなった。「本人も覚悟していると思う。でも、もし戦闘に巻き込まれたら」。女性は言葉を詰まらせた。

 青森市では派遣が決まってからの9月以降、市民団体が反対の集会やデモ、署名活動で「青森県民が戦争に巻き込まれる懸念がある」などと訴え、街は日に日に騒然となった。

 隊員の思いはさまざまだ。イラク派遣の経験があるベテラン隊員は「あの時も危険と騒がれたが、ふたを開ければ何もなかった。南スーダンも情勢が悪くなった時だけニュースになる」と指摘し、「我々は税金で訓練し、ご飯を食べている。『危ない』と言われたから行かないでは済まされない」と話す。

 10月16日の駐屯地65周年記念式典。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に触れた師団幹部は「プロとして精進する」と胸を張った。しかし個別取材へのかん口令のせいか、ある隊員は記者が差し出した名刺を「こういうのはちょっと……」と受け取りを拒否した。

 師団OBで「青森県自衛隊生徒父母の会」事務局長、奈良正治さん(69)は「隊員が、撃つ、撃たれるようなことがないと信じて送り出したい」と祈るような気持ちだ。ただ、リスクへの懸念は残るという。武器使用が拡大されたことを踏まえ、奈良さんは「隊員が死なないような運用を考えてほしい」と力を込めた>(以上「毎日新聞」より引用)

 かつて小泉首相は「何処が戦闘地域でどこが非戦闘地域か、私が知るわけがない。自衛隊がいるところが非戦闘地域だ」と国会答弁で詭弁を弄した。イラクのサマワに戦後復興という名目で自衛隊を派遣した際の「武器の不使用」という観点からの質問に対して、自衛隊は非戦闘地域に派遣したのだから「武器の使用」を前提としていないから「国際紛争の武力を行使しない」という憲法に違反していないという答弁だった。
 今回の「駆け付け警護」は明確に「武器の使用」を前提とする派遣だ。憲法規定に違反していることは明々白々だ。なんやかやと理由をつけて、先の大戦以前の日本は海外の紛争に武力介入した、という反省から日本国憲法は制定されて、政府の暴走を抑止する役目を担ってきた。しかし、安倍自公政権は「解釈改憲」という憲法違反を平気で犯して、戦闘地域へ「武力の行使」を前提とする自衛隊の派遣という暴挙を行う。

 先の大戦以前の世界は欧米列強により有色人種の暮らす地域を植民地として侵略する帝国主義の時代だった。当時の日本は欧米列強による植民地化の標的とされ、国民を守るためには「富国強兵」により欧米列強の軍事力に対抗するしかなかった。
 当時の常識で現代を評してはならないし、現代の常識で当時を批判してはならない。常識は時代とともに変化するものだ。欧米の整備された町並みや文化は植民地から収奪した富で造られたものだ。それが近代化というのなら、近代化とは植民地の犠牲の上に成り立ったものだ。

 しかし現代では「植民地」は世界の何処にもない。あるとすれば「傀儡政権」が支配する侵略地だけだ。イラク戦争とはフセインを殺害してフセイン支配を収束させようとする「米国の意図」に基づく米国の侵略戦争に他ならなかった。その巨額な戦費の支払いを米国は日本に求め、日本は「軍隊を派遣しなかった」ことから戦費の支払いを余儀なくされた。
 しかし、戦費の支払いも拒否すべきだったと、今の私は思う。日本はそうした国際紛争に関与してはならない、という教訓を先の大戦から学習したはずだ。だから日本憲法で「国際紛争の解決に武力の行使を行わない」と決めている。戦費の支払いは武力を行使してのと何ら変わらない。

 安倍自公政権は「駆け付け警護」を自衛隊に課して銃弾飛び交う南スーダンへ派遣する。自衛隊が戦闘の巻き込まれて武力を行使する可能性が極めて高い。戦闘服を着た自衛隊は容易に標的となるが、市民の格好をした武装集団は瞬時に見分けがつかない。
 戦闘では瞬時の判断が生死を分ける。自衛隊員が「駆け付け警護」で「戦死」する可能性は極めい高い。だから派遣するな、というのではない。国際紛争に武力の行使を禁じている日本国憲法に違反するから派遣してはならない、というのだ。駆け付け警護が戦前の「邦人保護」という名目で陸軍を大陸へ派遣して事とどれほど異なるというのだろうか。

 国連の平和活動に参加するのだから良い、という「根拠」は戦前の欧米列強の植民地強奪競争とどれほど異なるというのだろうか。国連がそれほど世界平和に機能している「団体」だろうか。安保理常任理事国の利害調整機関に過ぎない国連が世界平和に責任を持つ機関だというのだろうか。
 南スーダンの「内戦」もしくは「内乱」は南スーダンの問題でしかない。民族自決を前提とするなら、解決は南スーダンの人たちに任せるしかない。火種を撒いては武器を買わせる軍産共同体の手先に自衛隊が利用されてはならない。世界平和を希求する最高五ヶ国のはずの「国連安保理常任理事国」が揃いも揃って兵器輸出産業大国だとは滑稽そのものだ。

 軍産共同体にとって「戦争」もしくは「戦闘」は商売になる。むしろ平和になってもらっては困る。世界の何処かで戦争があって、武器・弾薬が大量消費されないと困る。そうした軍産共同体を擁す国々の手先となって、自衛隊員が戦闘に巻き込まれてはならない。安倍自公政権は戦後日本が断固として「国際紛争に武力の行使」をしないと宣誓した日本国憲法に違反して自衛隊を紛争地域へ派遣する。
 戦後史に小泉政権と並んで明記されるべき憲法違反政権だ。しかし、その政権の成立を許したのは日本国民に他ならない。日本国民の常識が戦前の常識に劣化している現実に唖然とする。戦前を卑下し自虐的に評すことには反対するが、それは戦前の常識に鑑みてのことだ。現代には現代の常識がある。その現代日本国憲法の常識こそ、日本は最優先輸出すべきだ。国連のマヤカシに過ぎない平和ごっこの偽善に巻き込まれてはならない。


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