「TPPに保護主義の壁」と掲げる読売新聞の国民を誤らせる世論誘導を非難する。

 世界の潮流の潮目が変わり、グローバル化から「自国主義」へとなりつつあるのにこの国のマスメディアは目を瞑っているかのようだ。そして殊更、TPPに対する逆として保護主義などという言葉を掲げて、TPPこそ正義であるかのように刷り込もうとしている。
 いうまでもなく、TPPはグローバル化の最も有効な手段だ。それは「ヒト、モノ、カネ」の国境をなくして、投機資金が世界中で暴れ回り、多国籍業や穀物メジャーなどが他国の制度までも自分たちの都合のいいようにISD条項によって変えられる、という悪魔の条約だ。

 そうした米国の1%に奉仕する条約に対して自国の「国民の生活が第一」の政治を実現しようとする勢力が抵抗を始めた、ということだ。それは決して保護主義ではなく、むしろ「自国主義」とでもいうべきものだ。
 関税自主権は明治政府の悲願だった。日米修好通商条約で米国と締結した不平等条約に倣い、西洋諸国と相次いで締結した不平等条約を改正して、日本が関税自主権を取り戻すのに日露戦争までかかったのは歴史を紐解けば容易にわかることだ。

 独立国家の要件は関税自主権と軍事統帥権と徴税権の三権だといわれている。日本はそのうち軍事統帥権はにちべぅ条約により一部米国に奪われている。そしてTPPにより関税のみならず非関税障壁までも撤廃させられるということは独立国家として存亡の危機だ。
 そうした観点もなく、TPPに反対するのは保護主義だと断定するのは余りに意図的ではないだろうか。自国内の制度や慣習や産業にはそれぞれ歴史や必要性がある。たとえば食糧は、最低限穀物の自給は100%を維持しなければ輸入相手国が「禁輸」を打ち出せば従わざるを得ない。

 かつて日本は米国を信頼し切っていた。だから原油や鉄鉱石などの資源輸入の75%を米国に頼っていた。しかし米国がソ連に対する防御として日本が支配していた満州に触手を伸ばすのに日本の満鉄が邪魔だとしてリットン調査団などを送り込んだりして対立してきた。そして遂にABCD包囲網を敷いて、日本を干し上げようとしてきた。
 それが太平洋戦争の引き金となった。決して過度に米国に依存してはならない、と過去の歴史が教えている。TPPに反対するのは日本政府なら自国の「国民の生活が第一」の政治をすべきであって、GDPの14%程度に過ぎない貿易が日本の死命を制するすべてであるかのような文言を弄して国民を騙してはならない。

 すでに日本は自由貿易協定を世界各国と結んで「自由貿易」を実施している。しかしそこには一定の独立国家としての国内事情があるのはお互い様だ。そうしたことを勘案しながら、お互いの国家を尊重しながら「自由貿易」を実施していくというのは当たり前のことではないか。日本も皮相な俯瞰外交から脱却して、遅ればせながら「国民の生活が第一」の政治に立ち返るべきだ。


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