政府がSで、国民がMというSMショーをいつまで続けるつもりなのか。

<9月20日、21日に開催された金融政策決定会合で日本銀行は、これまでの異次元の金融緩和からの方針転換を示した。新しい金融政策の枠組みとして日銀は、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入した。

 今回の政策変更によって日銀は、マネタリーベース(現金の供給量:日本銀行券発行高、貨幣流通高、日銀当座預金の合計額)の残高は、「長短金利の操作(イールドカーブ・コントロール)」のもとで短期的には変動する可能性があるとの認識を示した。その上で、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、拡大方針を継続する「オーバーシュート型コミットメント」を採用した。

 日銀が政策目標としてきたお金の供給量は、短期と長期の金利のコントロールに影響される。そして、2年で2%の物価安定の目標を達成するといった、限られた期間で物価上昇を目指す考えも外された。日銀は量から金利へ、政策を転換した。

 こうした金融政策の方針転換の背景には、2つのポイントがある。ひとつは、お金の量を増やせば物価は上昇するという理論の限界を日銀は認めた点だ。もうひとつは、マイナス金利には悪影響があることだ。日銀はこの2つの点を認め、柔軟かつ持続的な金融政策を、市場とのコミュニケーションを重視しながら進めようとしている。

 日銀の方針転換は、日本の経済政策=アベノミクスにも大きく影響する。アベノミクスは金融政策を重視してデフレ脱却、経済再生を目指してきた。日銀がこれまでの方針を変えた今、経済政策は問題の根幹を再認識し、原点に立ち返らなければならない>(以上「ニュースジャーナル」より引用)

 日銀の異次元金融緩和策だけで経済成長は出来ない、とかねてからこのブログで指摘してきた。金融緩和は経済成長の条件の一つに過ぎなかったからだ。
 デフレ下の経済状況を脱して経済成長路線に日本経済を戻すには日銀の金融緩和策と同時に政府による財政支出と経済成長策の展開が必要だった。安倍自公政権がなすべきは個人所得の増大をもたらす企業の生産効率向上の投資を増大させ、海外移転した政策拠点を再び国内に回帰させることだった。そうした「Uターン投資減税」や「生産設備投資減税」や「雇用促進策」などをアベノミクスの主要策として打ち出すべきだった。

 しかし安倍自公政権は当初「経済特区」を全国に何ヶ所か設けるとして、各地に安倍自公政権を支持すれば御褒美として指定してあげるよ、という姑息な政権浮揚策にすり替えてしまった。安倍自公政権は本腰を入れるべき経済対策に対して不真面目な取り組みだった。
 そのような経済策が成功するはずはなく、かつて経産相が主体となって全国総合工業特区ほどの効果ももたらしていない。むしろ国民は僅か三年にして「「経済特区」策があったことすら忘れている。かくも安倍自公政権は口先だけラッパを吹く「スローガン政権」だということを当初から露呈していた。

 まさしくアベノミクスも「スローガン政権」のスローガンの一つに過ぎなかった。そして経済が何も解っていない安倍氏は財務省の財政再建レクチャーに毒されて消費増税を「国民に痛みを求めるが、それも社会保障のためだ」というステレオタイプの「痛みにより財政再建」という無意味なSMショーを演じさせてしまった。いうまでもなく、Sは財務官僚であり、痛みに苦しんで快楽を得ていると見なされたMは国民だ。
 Mな国民は痛みに苦しみながらも安倍自公政権を「痛みを与えてくれる良い政権だ」と選挙で支持してきた。この倒錯した日本国民の感覚は民主主義でも何でもない。我慢することが快感に変わるシゴキかれる運動選手に自らを置き換えているのだろうか。しかし消費増税によりしごかれても、日本国民のすべてに貧困耐性ができるわけでもなく、貧困化により個人消費という経済成長の主力エンジンを冷やしただけだ。

 国民の素直な「国民の生活が第一」の政治を求める心が選挙に反映されない限り、この国は倒錯した「欲しがりません勝つまでは」の戦前・戦中の思考へと退行してしまうだけだ。奇しくも国会で自民党議員たちは「兵隊さんありがとう」とスタンディングオペレーションを演じるという退行現象を示した。
 安倍自公政権は日本の未来にとって極めて危険な政権だ。そして安倍自公政権の報道機関に堕した日本の主要マスメディアは大本営発表を垂れ流した戦前・戦中のマスメディアへと退行している。ことに発行部数第一位を誇る読売新聞が「アベノミクス道半ば」と安倍氏の経済不発の言い訳をそのまま社説に掲げるという幇間ぶりを示すという退行ぶりだ。

 しかし上記で引用した記事にしても、引用していないその後段で一層の「構造改革」が必要だと論じているのには慨嘆するしかない。経済学者もマスメディアも「構造改革」の言葉の中身が一向に解らないまま、言葉の響きだけで「良き哉」と使用しているかのようだ。
 いうまでもなく、構造改革の旗手となったのは小泉・竹中時代の竹中氏だ。彼の掛け声により「構造改革」が断行されて、一体何がどう変わって何が起こったというのか。従前の終身雇用体系が破壊され、正規社員の激減と、不安定な雇用関係の非正規・派遣労働者が大量に出現しただけだ。それに伴って婚姻率が低下して益々少子化が助長されているだけだ。

 日本の「構造改革」はグローバリゼーションの一環だということを忘れてはならない。竹中氏たちが唱えるグローバリゼーションは米国の1%が最大利益を手中に握るための世界の国境をなくして投機資金が自由に各国の富を収奪するための環境作りに他ならない。
 その結果として何が起こっているか。雪崩を打ったかのような労働移民の出現だ。日本には海に囲まれているため米国や欧州に起きている労働移民問題から免れているが、グローバリゼーションを信奉する安倍氏は「労働移民」を受け容れるべきだと主張している。なんという愚かな宰相だろうか。

 なぜ法人税減税ではなく「投資減税」を実施しないのだろうか。なぜ雇用の場を拡大すべく「Uターン投資減税」を大胆に実施しないのだろうか。そしてなぜ悪税の消費税を5%に戻さないのだろうか。安倍氏は無益なSMショーをマスメディアの絶賛支援を得てこの国で演じている。そのことに対してなぜ国民は「痛みだけを押し付ける政治は嫌だ」と正直な声を上げないのだろうか。Mに貶められた国家の主人公たちは悲嘆にくれながら秘かに歓喜を感じているのだろうか。まさしく不毛なSMショーが政府がSで国民がMという立場でこの国で演じられているという気味悪さを覚えるのは私だけだろうか。なぜ国民は「国民の生活が第一」という至極真っ当な政治を政治家に求めないのだろうか。


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