IPCは正しい見識を示した。

<ロシアの国家主導でのドーピングが認定されたことを受けて、IPC=国際パラリンピック委員会は、ロシア選手団のリオデジャネイロパラリンピック参加を認めないと発表しました。この結果、現時点で、ロシアのすべての選手がパラリンピックに出場できなくなりました。
ロシアのドーピングをめぐっては、WADA=世界アンチドーピング機構が、国家主導だと認定したうえで、「リオデジャネイロパラリンピックではロシア選手の参加を拒否すべきだ」という声明を出したことを受けて、IPCが対応を協議してきました。
そして、IPCのクレイバン会長が7日、滞在先のリオデジャネイロで記者会見し、ロシアパラリンピック委員会を資格停止とし、ロシア選手団のリオデジャネイロパラリンピックへの参加を認めないと発表しました>(以上」NHK WEB」より引用)

 IOCが参加か否かの決定から逃げて、それぞれの競技団体に丸投げしたのに対して、IPCはすべてのロシア選手の参加禁止という決定を下したのは正しい措置だ。オリンピックが「平和の祭典」ならばメダル争いに主眼を置くのは正しい姿勢とはいえない。
 それをロシアが国家ぐるみでドーピングしていたという疑いが濃厚はなった段階で、IOCはロシアのオリンピック組織委員会に「大会参加禁止」の措置を講じるべきだった。ドーピングをしなかった選手に対して厳しいではないか、という批判はあるにせよ、国家ぐるみのドーピングは由々しき事態だ。

 いえまでもなく、ドーピングは薬物により筋肉増強をしたり興奮状態にして普段より力が出るようにすることだ。そうした薬物使用は選手の健康を損ねるだけでなく、競技人生以後の人生を歪めかねない。
 メダル競争が選手の健康や生命を危険にさらすのは本末転倒だ。国やマスメディアがオリンピックを煽り、国家の名誉をメダルに重ねる報道に熱狂するのはどうだろうか。

 オリンピックは四年に一度の世界総合競技大会だが、それ以上のものではない。それぞれの競技に心血を注いで参加資格を得て順位を競うのは素晴らしいことだが、それ以上ではない。
 人生には競技人生以上の素晴らしいことは幾らでもある。単に速さを競ったり高さを競ったり強さを競ったりすることだけが人生のすべてではない。競技人生を終えた後の人生の方が数倍も長いことを考えれば、競技指導者たちは順位を競うだけではなく、人生の先輩として人としてのあり方も示せる人でなければならない。

 競技者に国家ぐるみでドーピングを施すとは言語道断だ。ロシアは今回の大会参加を遠慮すべきだった。そうしたことをIOCはロシアオリンピック委員会に諭すことなく、判断を各競技団体にゆだねるという見識のなさを暴露した。兵衛世の祭典とは到底いえない代物だ。


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