英語を小5から学ぶのが「国際化」に役立つのか。

<小中高校の教育内容を定めた学習指導要領の改訂案が1日、固まった。小学校5~6年生で外国語(英語)を正式教科にするほか、歌やゲームなどで英語に親しむ「外国語活動」の開始を3年生に早める。高校の地理歴史科を再編し、小中高の全教科にアクティブ・ラーニング(能動的学習)を導入するなど、時代の変化に応じた新しい学びの姿を打ち出した。

 中央教育審議会の特別部会が同日、改訂に関する審議のまとめ案を大筋了承した。新指導要領は小学校は2020年度、中学校は21年度、高校は22年度の新入生から順次実施される見通し。

 今回の改訂は「予測が難しい社会で未来を創り出すために必要な資質や能力を育む」(同案)ことが狙い。社会の変化を柔軟に受け止められる「社会に開かれた教育課程」を目指すとした。

 現在の指導要領は主に教える内容が書かれているが、改訂案は子供の学び方や教員の教え方も重視。「主体的・対話的で深い学び」に向けて能動的学習の導入などで授業を改善する。知識と思考力は共に重要だとして学ぶ内容は減らさない。

 小学校英語は11年度に5~6年生で「話す・聞く」中心の外国語活動(週1コマ)が始まって以来の改革となる。改訂後は5~6年生で正式教科となり授業も週2コマに増加。「読む・書く」を入れて内容も充実させる。
 英語の教科化などで小学校6年間の総授業時間は140時間増える。中学校は変わらない。

 高校の地理歴史は現在、世界史のみが必修。改訂後は日本や世界の近現代史を学ぶ「歴史総合」、国際理解を進める「地理総合」、社会参画への意識を高める「公共」を新たに必修科目とする。グローバル化や18歳選挙権を踏まえた。数学や理科の考え方を活用して課題に取り組み、挑戦心を養う「理数探究」も新設する>(以上「日経新聞」より引用)

 義務教育の期間は日本国民として基本的な知識や考える力をつけることが大切なのは言うまでもない。国家の成り立ちや世界の歴史を学ぶことは知識の骨格として必要だ。
 英語教育は早くから始めた方が「身に着く」という考えからだろうが、果たしてそうだろうか。むしろ国際化が英語教育という安直な考え方の方が古いのではないだろうか。単純にその言語を使用している人口で最も多いのは「中国語」だ。しかし中国語が国際語でないのは明らかだ。

 世界で英語が国際語として「標準」使用されているのか、というとそうでもない。しかし国際標準語化しようという動きはある。たとえば国連で多国籍の人たちが話し合う会議などで使用される言語は英語だ。だから英語を学べば国際的に通用する人材になれるのか、というと必ずしもそうではない。
 まず英語が話せるだけでは優秀な翻訳機に過ぎない。翻訳機というのなら小型で簡単な日常会話なら日本語から英語などに翻訳して会話ができる「翻訳機」は実用化されている。

 英語教育を小5から始めるのにあまり賛成できない。むしろ日本語で読み書きできる方が先ではないだろうか。私は今、原稿もなしでキーボードを叩いて直接このブログを書いている。しかし自慢するわけではないが、文章を直ちに書ける人はそれほど多くない。
 長い人生を経てきた人たちでも、文章を書くのが苦手な人は多い。むしろ書けない人の方が多い。それが「定型的」でない、作文のように頭の中にある概念を文章にして表現するのが苦手な人は多い。彼らは思考のロジックを追って文章で表現する「訓練」を若い頃に経験していないようだ。

 英語教育をするにしても、日常会話を学習するのならそれほど特殊なカリキュラムを組む必要はない。セサミストリートのようなビデオを流して視聴していれば自然と身に着くだろう。
 問題は学習した英語で何を表現するかだ。表現する「国語力」があるか否かではないだろうか。そして学習する内容として日本国民が日本国民たる所以をしっかりと教える必要があるのではないだろうか。

 米国は米国大陸の東部に上陸して以来、西進して先住民のアメリカインディアンを600万人も虐殺して土地を奪って西海岸に到った。そこで止まるのではなく、さらに太平洋を西進してハワイを謀略で奪い取り、ついには日本と衝突した。太平洋戦争だ。
 ロシアはシベリア開発から不凍港を手に入れるために南下政策を至上命題としてきた。そして朝鮮半島を手に入れようとして日本と衝突した。日露戦争だ。近代日本の戦争はそうした帝国主義大国の侵略に対して日本の独立を死守するために対峙した結果だ、という歴史を日本の義務教育は教えていない。

 中国は遅れてやってきた周回遅れの帝国主義国家だ。世界が帝国主義から脱皮して国際協調の時代になっているにも拘らず、前近代的な侵略を近隣諸国と海洋で展開している、厄介な国だ。
 そうした世界史観を日本の義務教育では教えていない。だから日本政府も東京都知事までも米国のジャパンハンドラーの御用聞きのような連中が牛耳っても、日本国民の多くは危機感を持たないでいられるのだ。

 日本は根本的なところで決して独立国家ではない。首都圏に自国軍よりも圧倒的な外国軍が展開する先進国は日本だけだ。いつでも日本の首都は米軍により制圧される状態にある。だから政府は米国のジャパンハンドラーの意見に耳を傾けざるを得ない。
 この見掛け倒しの「独立国家」の実態に気付かない多くの日本国民に実態を見る眼を養わなければならない。それが義務教育の基本的な役割だ。

 国際的な日本の役割はどちらかの陣営に属して三下奴を務めることではなく、軍事大国による世界支配の実態を俯瞰的に眺めて、そうした前近代的な陣取り合戦的視点から脱却すべきとの論陣を張ることではないだろうか。
 日本国民が世界平和を望むなら米国の使い走りに日本を貶めることではなく、日本の真の独立を果たすことがまず必要だということを知るべきだ。義務教育の「実用主義」的な役割も否定しないが、むしろ基本的な国際感覚を養い、日本の独自文化と歴史を学ぶことの方が重要ではないだろうか。


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