OPECの足並みの乱れは未来のエネルギー構造を考える好機だ。

<石油輸出国機構(OPEC)は2日、ウィーンの本部で定時総会を開いた。一部加盟国が需給引き締めに向けて原油生産量の上限の設定を模索したが、増産を続けたいイランとの溝が埋まらず、合意に至らなかった。4月のドーハ会合に続いて協調態勢の構築が不調に終わり、OPECの機能不全が一段と鮮明になった。

 OPECは昨年12月、日量3000万バレルの生産上限を取りやめ、事実上各国の裁量に委ねる体制に移行した。生産量が上限を超え形骸化していたためだが、足並みの乱れを突かれて原油価格は2月に一時1バレル=20ドル台まで急落した。今回、てこ入れを求める一部加盟国が上限復活を求め、サウジアラビアも支持したが、1月に経済制裁が解除されて以降、増産を続けるイランが反対した。

 イランのザンギャネ石油相は会合前、上限設定は、イランの大幅増産を認めることが前提との考えを示していた。サウジのファリハ・エネルギー産業鉱物資源相は会合後、「以前のような市場管理には戻らないだろう」と価格影響力の低下を認めた。

 サウジやカタールは4月にドーハで開いた会合でも、ロシアなど十数カ国と生産量を1月の水準のまま凍結する生産調整を模索したが、イランが拒否し合意に至らなかった。国際原油価格は最近、1バレル=50ドル近くまで回復したが、ベネズエラなど財政悪化にあえぐ加盟国からは価格下支えのため協調を求める声が強かった>(以上「毎日新聞」より引用)

 イランを制裁していたサウジアラビアなどの生産制限設定国側がイランの増産を止めることが出来なかったようだ。これにより現在1バレル50ドル台に回復していた原油価格が再び50ドルを割るのが確実になった。
 国家財政の多くを資源輸出に頼っていた石油生産国は経済立て直しに苦慮している。石油産出原価の高い国々は常時輸出赤字に耐え続けなければならず。時間の経過とともに深刻な事態に陥らざるを得ない。

 しかし石油輸出に国家財政を頼ってきたのは正常な財政運営とは言い難い。そもそも1バレル1ドル当時から一次オイルショックで15ドル台に跳ね上がり、第二次オイルショックで倍の30ドル台に突入した。
 それ以前の石油産出国の経済と比較して、石油ショック以後の石油産出国のオイルマネー塗れの経済が異常だったと思わざるを得ない。砂漠に石油よりも高価な真水を撒いて街路樹を育てる、というのは「夢」の実現かも知れないが、それは石油輸入国の消費者物価高騰により支えられたものだ。

 永遠に続くはずのない石油資源に頼り切った国家財政が健全なわけがない。いつかは石油資源が枯渇し国家財政が破綻する時が来るのは目に見えている。
 イランが石油生産上限設定仲間から外れることは石油価格の下落傾向になることは明らかだ。今回の石油価格下落が始まった原因は世界一の石油輸入国の中国が経済活動低下により石油の輸入が減少したことによる。中国の資源爆買いは酢で終わっている。当然、一定のタイムラグを伴って経済悪化が表面化するのは自明の理だ。

 中国は鉄鋼やセメントなどの基礎材の過剰生産からダンピング輸出をしていたが、米国が輸入停止措置を講じると宣言した。ますます中国経済は減速するだろうし、石油輸入量も減少するだろう。
 国際金融がオイルマネーに支配されていた時代が終わろうとしている。かつて1バレル140ドル台と異常に高騰したことにより、太陽光発電などの再生エネが拡大したが、石油価格下落によりその歩みを止めてはならない。日本国内でも電気買取価格が42円から28円にまで下げられたが、再生エネの推進のためにこれ以上の引き下げをしてはならない。

 石油はいつか必ず枯渇する。それを決して忘れてはならない。枯渇して高騰してから直ちに再生エネにシフトすることは困難だ。
 日本政府は場当たり的なエネルギー対策を打つのではなく、長期的な視点から政策対応すべきだ。こうした視点からも、揮発油税を道路財源にだけ使うのも考え直すべきではないだろうか。子々孫々のためにエネルギーの分散化を加速させるべきだ。


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