日本の最大の資源は「人材」だ。

<大学生らを対象にした国の奨学金制度について、首相は「本当に厳しい状況にある子どもたちには、返還が要らなくなる給付型の支援によって、しっかり手を差し伸べる」と述べ、給付型奨学金を創設する考えを表明した。今夏の参院選から選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられる見込みのため、若者支援拡充をアピールする狙いがありそうだ。

 首相は「家庭の経済事情に関係なく、希望すれば、誰もが大学にも専修学校にも進学できるようにしなければならない」と強調。給付型奨学金に関し、首相は25日の国会答弁で「全面的に否定的なことを言ったことはない」と含みを持たせていたが、会見ではより踏み込んだ。

 国の奨学金制度は文部科学省所管の独立行政法人「日本学生支援機構」が運用。返済が必要な通常の奨学金には無利子型と有利子型がある。首相は「可能な限り速やかに、必要とする全ての子どもたちが利子のない奨学金を受けられるようにする」と明言。返済についても卒業後の所得に応じて軽減措置を講じる方針を示した>(以上「時事通信」より引用)

 日本の最大の資源は「人材」だ。しかし政府に人材養成のために公的支出すべきだという観念は意外と低い。つまり教育は個人的なことだという考え方が依然として強い実態がある。
 たとえばOECDに加盟している諸国でGDPに対する学校教育費の割合を比較すると、一位はアイスランドで7.9%、二位は韓国で7.6%、三位はイスラエルで7.2%、四位は米国で7.2%、となっている。そして日本は全28ヶ国中24位で4.9%に過ぎない。

 学校教育費で公的負担割合で比較すると一位はフィンランドで97.4%、二位はスウェーデンで97.3%、三位はエストニアで94.7%、四位はベルギーで94.3%、そして日本は全28か国中26位で66.4%だ。日本より以下にあるのは韓国とチリだけというありさまだ。
 日本は何事につけても公的負担割合の低い国だ。御用評論家諸氏は日本の税などに対する国民所得に対する負担割合が4割程度で低いからまだまだ徴収余地があると述べているが、それは公的負担割合を差し引いた「純負担割合」で比較すべきだ。そうすると日本国民に対する負担割合は17%を超えて、欧米諸国が軒並み14%台なのに対して、日本国民の負担割合が突出して高いのが解る。

 奨学金という概念からして、日本のそれは「低利教育ローン」と呼ぶにふさわしいものだ。決して先進諸国の給付型を前提とする奨学金と同列に語れない。
 私も大学では奨学金という「定率教育ローン」を利用した。卒業後の十年間程度は安月給の中から返還するのはかなりきつかった記憶がある。しかし当時の国立大学の授業料は月額千円で、年間1万2千円でしかなかった。借りていて六畳一間の家賃が月額4千円だったのと比べても学費は安かった。しかし昨今では国立大学(独立行政法人と呼ぶそうだが)ですら年間50万円を超えるという。

 日本は貧困層に厳しい国だ。子育てもそれぞれの家庭の個人的な問題だとして、その費用に対する公的支援はなかなか拡充されない。2009民主党マニフェストは子ども手当にしても画期的だったが、官僚たちの反対と、それに同調する馬鹿な御用学者と自公野党によって実施に移される前にアッという間に潰え去ってしまった。
 子宝という言葉はこの国では比喩に過ぎない。人材確保法、という法律は学校の先生を確保するために一般の公務員より先生の報酬を良くしようというものでしかない。人材確保法が高等教育に対する給付型の奨学金の枠を拡充しようとするものではない。何ともやりきれない。あくまでも大人に対する政治がこの国の政治を貫いている。子育てや教育を充実して、明日の日本を背負う人材を育成しようとする制度が貧弱なのには驚くばかりだ。「人は石垣人は城」と謳ったのは武田信玄公だが、その言葉を現代の政治家諸氏も一度噛締めるべきではないか。


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