GPIFは必要か。

<公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に株式の自主運用を解禁するかを巡り、厚生労働省の社会保障審議会は8日、認めないことでほぼ意見が一致した。GPIFが直接株式を持つと、国家の企業支配につながるとの懸念が強かった。審議会の意見を踏まえ、政府・与党が今国会に提出予定の公的年金改革の関連法案に盛りこむか最終判断する。

 審議会で了承した論点整理では、(1)自主運用の全面解禁(2)部分解禁(3)見送り――の3案を併記した。このうち、日経平均株価など指数に連動した運用成績を目指す「パッシブ運用」に限り、議決権を外部に委託して部分的に自主運用を認めるべきだとの意見が複数の委員からあったが、「一部の意見」にとどめた。

 自主運用は見送り、「早急に手当てが必要なデリバティブ(金融派生商品)の規制緩和」などに限るという意見が多かったとした。

 自主運用の解禁は経団連や連合出身の委員を中心に反対意見が強かった。GPIFが直接株式を保有して、株主総会で議決権行使をするようになると、企業経営への影響力を強めることができるという懸念があるためだ。8日の審議会でも「企業支配や市場をゆがめる懸念を払拭できない」との声があった。

 優先的に取り組む課題として、GPIFのガバナンス強化をあげた。理事長に権限が集中した現体制から労使の代表らで構成する合議制に改める方針だ>(以上「日経新聞」より引用)

 そもそも年金基金の金融市場での運用が必要なのか、という議論からすべきではないだろうか。年金基金がインフレにより目減りするのを防ぎ、併せて運用により利益を出して基金を増やそう、というものなのだろうが、責任体制の明確でない独立法人がそうした金融市場という「生き馬の目を抜く」修羅で運用益が出せるのだろうか。
 たとえ運用益が一時的に出せたとしても、長期的には今回の株式市場への大量投入のように政府の思惑により国民の基金が利用されることには危険が伴う。まず第一に、GPIFの人件費などは年金基金の運用益から出されているのか、それとも年金基金から支払われているのか、そうした基本的な「基金運用」を国民に明確に情報開示すべきではないだろうか。

 そうした前提の上で、年金基金というビッグマネーを株式市場に投下すれば株価形成に大きな影響が出るのは議論を俟たない。それは取りも直さずGPIFが株式市場を通して企業支配することがありうることを如実に示している。
 かつて刑事被告人になった投資家が記者会見で発した「企業は誰のものですか。企業は株主のものだし、金儲けは悪いことですか」という倫理観に日本国民は仰天した。企業はもちろん株主だけのものではない。中学の社会科で企業の三要素として「企業は土地と労働力と資本により形成される」と学ぶ。株式は資本の一部でしかない。しかし経営者はともすれば株主総会で解任されかねない大株主の意向に気を使わざるを得ないのも確かだ。

 GPIFがそうした「物言う株主」になったなら、日本は自由な株式市場を失うだろう。米国の真似をしてGPIFを日本でも創設したが、基金運用の株式投資割合は米国のものの二倍ほどもあることを認識すべきだ。本家の米国の方が安全性に気配りしている事実に着目すべきだ。基金運用にGPIFは必要なのか、基本に立ち返って「責任の伴わないディーラー」を雇うほど基金にとって危険なことはない、という観点から議論すべきではないだろうか。


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