阪神淡路大震災から21年。

<安倍晋三首相は16日、都内で開かれた茶道裏千家の新年恒例の「初釜式」に出席し、十六代千宗室家元がたてた濃茶を味わった。千氏が「いかがでござしょうか」と尋ねると首相は「元気が出てきます」と答えた。初釜式には元首相の福田康夫、鳩山由紀夫、菅直人各氏や高市早苗総務相らも参加した>(以上「日経新聞」より引用)

「いかにして国民に寄り添った政治を行うべきか、濃茶の味わいに叱責されたような気がします」とでも感想を述べれば、安倍氏も少しはましな首相かなと見直したものを、健康飲料の試飲会にでも出たかのような感想ではいただけない。濃茶の味は人生の味のはずだ。元気の出るものではなく、来し方を振り返り今ある己を内省するためのもののはずだ。
 しかし安倍氏にそうした素養があろうはずもなく、嘘を大真面目な顔をして捲し立てて恥じない薄っぺらな人間でしかない、というのは周知の事実だ。日本国民の不幸は薄っぺらな人物が大きな顔をして首相の座に居続けていることだ。

 今日で阪神淡路大震災から21年目だ。あの大震災により7千人近い大勢の人たちが亡くなった。そうした大震災に見舞われた国土に暮らす国民の身の上を常に思わない首相がいるとしたら、国民は不幸を一身に背負わなければならない。
 つい先日、基礎杭が固い地層に到達していない欠陥マンションが大問題になったが、今度は準大手の建築会社が下請会社が材質の悪い鉄筋を強度不足の溶接を施した資材を使って、鉄筋建築に使ったことが判明した。この国は肝心なところで箍が外れてしまったのではないかと慨嘆せざるを得ない。

 行政も「にぎわい創出」のためなら図書館もブック&カフェも何でもアリだ、として指定管理者制度を乱用する。「にぎわい創出」は行政の仕事ではないが、そうした基本的なことすら理解しない市長や市議会議員が大きな顔をして特定業者と癒着して「何が悪い、にぎわい創出だ」と開き直る。
 定住人口が増加して、自然と商業活動が活性化するのが本来のにぎわいだ。そうした基本的な仕事をするのが「政治」だ。いかにして定住人口を増やすのか、という基本命題に全力を注げば良い。それが政治であり、行政の在り方だ。

 しかし市長や議員諸氏はテレビに登場するタレントの所業に毒されて、パフォーマンスを演じるのが政治だと勘違いしている。ブック&カフェの開業に市長が登場してテープカットをするなぞ、他の喫茶店や書店の開業式にも登場してニギニギしく挨拶しテープカットしてきただろうか。
 市長がブック&カフェの小間使いに成り下がり、市民の税金を「図書館指定管理料」として年間一億円以上も支払う。それを「にぎわい創出」だから支払っても良い、と市議会が議決する。「にぎわい」は商店街が行うべき「仕事」で、行政が責任を負うべき範疇ではない。行政は市民に安定的な雇用の場をもたらすような企業の誘致に全力を注ぐべきだ。

 田中角栄氏の「国土改造論」から経産省の全国総合整備計画などによって日本の産業が世界に高品質の製品を提供し始めるようになった。そうすると米国が日本の台頭に危機感を覚えて、日本の国土に効率的に形成された工業地帯を解体すべく「グローバル」という魔法の言葉をかけて、構造改革というマントラを流行らせ、海外移転が成功の秘訣とバカな経営者の耳元で囁き続けた。
 最も酷かったのが小泉氏の政権下で暗躍した竹中氏だ。彼の時代に派遣業法は骨抜きにされ、野放図な構造改革と称する「弱者」保護と「国民」保護の安全弁は取り払われた。その延長線上にあるのが昨日のスキーバス事故だ。肝心な部分で箍が外れてしまった日本を作ったのは彼らの時代だ。その優秀な弟子が安倍信三という政治家だ。

 初釜の濃茶を啜って「元気が出る」と感想を述べる、茶の湯の何たるかを理解していない日本国総理大臣を私たちは戴いている。この不幸を終わらせるには7月の参議院選挙で自公と維新も含めて、過半数割れにするしかない。


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