警戒せよ、原発再稼働の策動は着々と進んでいる。

<関西電力高浜原子力発電所3、4号機(高浜町)の再稼働について、22日に西川知事が同意を表明し、「地元同意」の手続きが完了した。今後の焦点は、24日に控える運転差し止めを命じた地裁仮処分の保全異議審の結論に移る。ただ、府県境をまたぐ広域避難計画の実効性に課題も残しており、住民からは不安の声も漏れる。
 記者会見で西川知事は、「県民の安全安心を守るため、課題に真摯しんしに対応する」と誓った。また、原子力行政全般への国の覚悟を引き出したことなどについて「福井の姿勢が、全国で続くほかのプラントの再稼働や様々な判断のベースとなると考える」と述べ、日本の原発黎明れいめい期から40年以上に渡って原発と共存してきたトップランナーの自負を見せた>(以上「読売新聞」より引用)

 原発は地元民の避難路の確保など安全はもちろん大事だが、原発事故が起こると「取り返しのつかない」事態になることは福一原発で身を以て日本国民は経験したはずだ。原発事故が起こると、まさしく「取り返しのつかない」事態に見舞われるわけで、現在も10万人を超える人たちが家に帰れないまま避難生活を強いられている。
 それだけではない。各地の原発の使用済み核燃料貯蔵プールには山ほどの使用済み核燃料棒が貯蔵されたままになっている。そして使用済み核燃料棒は行き場のないままプールに貯蔵されたまま今後何年も「一時置場」に永遠に置かれ続けるしかないというのが現状だ。

 他にも放射性廃棄物という原発から出るゴミの問題もある。何処にも最終処分場のない日本で、放射性廃棄物は六ヶ所村に中間貯蔵という位置づけでドラム缶に詰められて山と積み上げられている。しかしいつまでもドラム缶が腐食しないわけがない。
 そうした基本的な問題の解決なくして再稼働を決断する政治とは一体なんだろうか。国民の安全、それも現在だけではなく、未来の国民の安全までも蔑にして、それでも「安い」「クリーン」な電気発電装置だというプロパガンダを拡散するマスメディアは亡国の使徒というしかない。

 原発は「安く」もなければ「クリーン」でもない。ましてや一度事故を起こせば「町のにぎわい」どころか、向こう数十年も住めなくなる「死の町」になることを地域住民はなぜ理解しないのだろうか。
 その場凌ぎの原発行政を「安全確保」しただとか、厳格な安全基準だとか、言うに事欠いて言葉だけの誤魔化しに終始している。大地震などの天変地異が起これば原発の「安全基準」などはすべて想定外で対処不能に陥ることは福一原発で学習したのではなかっただろうか。

 なぜ再生エネに政府は力を入れないのだろうか。原価率が高いから駄目だ、と政府や官僚が判断するのではなく、発電会社ごとの個別購入が可能になるのだから、消費者判断に任せてはどうだろうか。少々高くても再生エネを買いたいという国民も大勢いるはずだし、普及すれば製造原価も下がるし発電効率の技術革新も起こるだろう。
 政府が再生エネを抑制する必要はないし、原発を推進する必要もない。すべては消費者判断に任せればよい。福井の原発に事故が起これば風向きから京都・大阪などの関西圏が放射能の降り注ぐ地域となり、関西が広く放射能汚染されるだろう。第一、琵琶湖が放射能汚染されて京都や大阪の飲水は確保できるのだろうか。

 関西圏の住民が原発で発電された電気を買わなければ、原発再稼働は無用の長物となる。だから国民はそうした不買運動を起こすしかない。官僚や政府・政治家や財界などは既得権益が守られれば国民がどうなろうと知ったことではない連中の塊だ。それに対抗するには原発電力の不買運動を広汎に起こすことだ。
 再生エネが高いというのなら、益々省エネに励んで、実質的に消費電気料金が上がらないように個々人が努力することだ。明かりも部屋全体を明るくする必要はなく、電気スタンドで必要なところだけに明かりを落とせば良い。そうした工夫をして、再生エネを購入する努力を国民が進めることが原発再稼働連中を干上がらせる最良で確実な方法だ。


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