早すぎる宇江佐真理さんの死を悼む。
<「髪結い伊三次捕物余話」シリーズなどで知られる作家の宇江佐真理(うえざ・まり、本名伊藤香=いとう・かおる)さんが7日午前9時17分、乳がんのため北海道函館市の病院で死去した。66歳。北海道出身。葬儀・告別式は10日午前11時から函館市田家町5の29、赤坂中央斎場で。喪主は夫伊藤仁司(ひとし)氏。
「幻の声」でオール読物新人賞を受賞しデビュー。同作が皮切りとなった「髪結い伊三次捕物余話」シリーズがヒットするなど、江戸庶民の暮らしを情感豊かに描く時代小説で読者を獲得した。「深川恋物語」で吉川英治文学新人賞。「余寒の雪」で中山義秀文学賞。
他の作品に「泣きの銀次」シリーズや「古手屋喜十為事覚え」「雷桜」「彼岸花」「通りゃんせ」などがある>(以上「産経新聞」より引用)
宇江佐真理さんは時代物といわれる主に江戸時代の人情や風情を描きこんだ小説の名手だった。まだ66才と逝くには早すぎ、心から惜しまざるを得ない。
私は宇江佐真理さんと一面識もない。尤も、私は文壇を彩る作家諸氏とは誰とも面識がない。しかし小説を通して彼ら彼女らの知遇を得ている。そうした書物を通して知り得た人物の中でも宇江佐真理さんは特筆すべき輝きを放っていた。
江戸時代はそれほど遠い昔のことではない。私に限っていえば、父は大正時代に生まれ祖父は明治時代に生まれている。そして曽祖父は慶応二年、江戸時代の最後の年に誕生している。
もちろん曽祖父と私は面識がない。父親が語る祖父の思い出話の中で、私は曽祖父と邂逅しただけだ。それでも父親の中に曽祖父が生きているのが解って、江戸時代はそれほど現在の日本と懸け離れた遠い過去ではない、という実感が私にはある。
その曽祖父の父親は山間部の集落で村医者をしていた。村人に尽くしたようで、その顕彰碑は集落の小高い丘の上にあった。かつて、私は亡父に連れられて、その顕彰碑を見に集落を訪れたことがある。顕彰碑には天保年間に生まれたことから、彼がいかに村人に無償の医療を施したかが刻まれていた。
その顕彰碑は道路拡張工事により丘が削られ、今では平地の道路端に下されている。確かに、私は江戸時代の伊藤博文や高杉晋作たちが生まれた天保年間に生まれた人の子孫だという系譜が私の中で息ずいているのを感じる。そのことを私は誰かに伝えたいと希い、50才を前にして拙い時代物を書くようになった。
書くためには読まなければならない。私は私は暮らす地域の図書館の時代物をすべて読破する勢いで読み漁った。そこで邂逅した作家の一人が宇江佐真理さんだった。
現代のトリックを駆使した荒唐無稽な小説が氾濫する中で、宇江佐真理さんは江戸時代の風情と、そこに生きる人たちの人情を見事なまでに描いた。江戸時代はそこにあった。まだまだ新作を読みたいと思わずにいられない作家だった。宇江佐真理さんの早過ぎる死を悼む。
「幻の声」でオール読物新人賞を受賞しデビュー。同作が皮切りとなった「髪結い伊三次捕物余話」シリーズがヒットするなど、江戸庶民の暮らしを情感豊かに描く時代小説で読者を獲得した。「深川恋物語」で吉川英治文学新人賞。「余寒の雪」で中山義秀文学賞。
他の作品に「泣きの銀次」シリーズや「古手屋喜十為事覚え」「雷桜」「彼岸花」「通りゃんせ」などがある>(以上「産経新聞」より引用)
宇江佐真理さんは時代物といわれる主に江戸時代の人情や風情を描きこんだ小説の名手だった。まだ66才と逝くには早すぎ、心から惜しまざるを得ない。
私は宇江佐真理さんと一面識もない。尤も、私は文壇を彩る作家諸氏とは誰とも面識がない。しかし小説を通して彼ら彼女らの知遇を得ている。そうした書物を通して知り得た人物の中でも宇江佐真理さんは特筆すべき輝きを放っていた。
江戸時代はそれほど遠い昔のことではない。私に限っていえば、父は大正時代に生まれ祖父は明治時代に生まれている。そして曽祖父は慶応二年、江戸時代の最後の年に誕生している。
もちろん曽祖父と私は面識がない。父親が語る祖父の思い出話の中で、私は曽祖父と邂逅しただけだ。それでも父親の中に曽祖父が生きているのが解って、江戸時代はそれほど現在の日本と懸け離れた遠い過去ではない、という実感が私にはある。
その曽祖父の父親は山間部の集落で村医者をしていた。村人に尽くしたようで、その顕彰碑は集落の小高い丘の上にあった。かつて、私は亡父に連れられて、その顕彰碑を見に集落を訪れたことがある。顕彰碑には天保年間に生まれたことから、彼がいかに村人に無償の医療を施したかが刻まれていた。
その顕彰碑は道路拡張工事により丘が削られ、今では平地の道路端に下されている。確かに、私は江戸時代の伊藤博文や高杉晋作たちが生まれた天保年間に生まれた人の子孫だという系譜が私の中で息ずいているのを感じる。そのことを私は誰かに伝えたいと希い、50才を前にして拙い時代物を書くようになった。
書くためには読まなければならない。私は私は暮らす地域の図書館の時代物をすべて読破する勢いで読み漁った。そこで邂逅した作家の一人が宇江佐真理さんだった。
現代のトリックを駆使した荒唐無稽な小説が氾濫する中で、宇江佐真理さんは江戸時代の風情と、そこに生きる人たちの人情を見事なまでに描いた。江戸時代はそこにあった。まだまだ新作を読みたいと思わずにいられない作家だった。宇江佐真理さんの早過ぎる死を悼む。