パリ同時多発テロは「戦争法」の実施で日本でも起こりうる。

<フランスの首都パリで13日発生した同時多発攻撃について同国の検察当局は14日、3つのグループを形成し連携して行った犯行との見解を示した。
 国境をまたいだ捜査が進むなか、検察当局は今回の事件について、フランス国内のほか、中東、ベルギー、ドイツなど多国籍が絡んだ組織が関与したとみている。
オランド大統領は過激派組織「イスラム国」による「戦争行為」だと非難。イスラム国は犯行声明を出し、攻撃はフランスの軍事行動に対する報復だと表明。パリ中心部の各地に爆弾ベルトを身に着けたり、マシンガンを携帯したりした戦闘員を送り込んだとしている>(以上「ロイター」より引用)

 129人もの何のかかわりのない人たちを殺害した参事はフランスがシリアのIS(イスラエル国)攻撃に参加したことによる「報復」のテロだとISが犯行声明を出した。報復攻撃が新たな報復殺人を生む、というのはまるでギャングたちの抗争のようだ。
 もちろんテロを容認する気は微塵もないが、多国籍によるISへの攻撃はIS側からすれば多国籍によるテロだということになるのだろう。その報復の連鎖の中に日本も「戦争法」を根拠として「友軍支援」を乗り出せば日本もISによる報復テロ攻撃の対象になるだろう。そうした日本国民の生命を危険に陥れる事態を招来することが日本を守る「積極的平和主義」だと安倍自公政権は主張するのだろうか。

 ISの勃興は米国が主体となってフセインのイラクを崩壊させた軍事攻撃が契機となっているのは疑いの余地はない。「大量破壊兵器」を保有している、というのが米国のイラク進攻の口実だったが、イラクに「大量破壊兵器」はなかった。
 しかしフセインは「イラクに大量破壊兵器はない」とはいえない理由があった。当時、イラクはイランと軍事対立関係にあった。イランは核兵器を開発・保有していたから、イラクに「大量破壊兵器」がないということになれば軍事力の均衡が崩れてイラクがあっとあ的に不利な状況になる。そうした展開を避けるためにフセインは「大量破壊兵器はないからイラク進攻するな」と米国に云えなかった。そうした子供でも分かる簡単な理屈を無視して、米国は多国籍軍を形成してイランのフセイン政府を殲滅した。それにより中東のパンドラの箱が開け放たれた。

 そもそも米国が中東に軍事侵攻する必然性があったのだろうか。民主主義の宣教師気取りで、アラブの春を裏から演出して、国際世論から拍手喝采を浴びたのはほんの束の間だった。
 アラブ世界に民主主義が適しているのかは疑問のあるところだ。彼らはイスラム教を信仰し、イスラム教は「全体主義」的な色合いの強い宗教で民主主義と適合するとは必ずしも思えない。現に選挙制度を取り入れているイランでも超法規的な「宗教指導者」が政府の上に君臨している。それを非民主的だ、と批判するのは欧米諸国の観念に過ぎない。イスラム諸国にはイスラム諸国の統治原理がある。それを認めることも多様な価値観の混在する世界では必要なことだ。

 安倍氏がG20に出席しているフランスでテロを激しく批判したのは正しいが、その景気の原点は日本も支援したイラク進攻にあることをも反省しなければならない。キリスト教徒とイスラム教徒との千年以上にわたる報復合戦に仏教徒の多い日本が参加するのは適当とはいえない。
 日本はすべてを赦し合う「仏教」の教えを世界に広めるべきだ。民主主義とキリスト教を隠れ蓑に世界に軍事力を勝手気ままに派遣して軍事展開する米国が国際基準とみなして日本も軍事参加するのが多々しいのか、日本国民は゛戦争法」の有り様をキッチリと考えなければならない。

 テロを恐れるのではない。千年を超える無限連鎖の報復合戦に日本も巻き込まれるのを恐れる。中東には中東の「平和」に対する観念がある。それを是認する必要がある。米国基準がすべて正しいのではない。米国の属国化を強引に進めている安倍自公政権の危険性を日本国民は静かに考えるべきだ。


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