国立大学文系学部の安易な改廃をすべきではない。

<国立大学で2016年度以降、人文社会科学系の学部・大学院の組織見直しを計画しているのは33大学で、人文社会科学系がある60大学の半数超に上ることが20日分かった。各大学の16年度以降の6年間の中期目標・計画の素案が同日開かれた文部科学省の専門分科会で示された。一方、組織の廃止を予定しているのは横浜国立大など9大学で、いずれも対象は教員養成系学部だった。文科省が6月の通知で求めていた国立大の文系学部の組織改編が一気に進むことになる。年度内に文科相が各目標を決定し、計画を認可する>(以上「毎日新聞」より引用)

 このたびの国立大学文科系学部縮小要請が政府から出て、全国の国立大学でそうした動きが出ているようだが、その中でもとりわけ教員養成課程が標的にされているようだ。教員といえばかつては成り手がなくて「地方公務員特別手当」という報酬の嵩上げをして教員確保に血眼になっていた。
 しかし公務員報酬の上昇と手厚い共済年金が魅力となって、教員を志望する学生が増加し、現在では必要とされる人員を上回る教員養成課程で学んだ卒業生が排出されているのは事実だ。しかし、法学部卒業生が全員法曹関係の仕事に就くわけではないし、工学部の卒業生が全員工業・生産現場で働いているわけではない。

 多様な学部が大学にあって、多様な専門的な学問を積んだ教授が存在する大学ほど、創造性が高まるのではないだろうか。教養課程で他学部の知識や琴線に触れることは専門課程に入った後に役立つことも多々あるのではないだろうか。
 世間には例え話で「数学を学んで役立ったのは「三角形の二辺の和は他の一辺より長い」という近道の原理だけだ」と嘯く人がいるが、数学は柔軟な発想とロジックをきちんと辿る思考力の訓練の一環でもある。教員養成課程は学校の先生を排出する以外に要のない学部ではない。人を相手にして学問を教える学問が魅力的でないわけがない。そうした知識を身に付けた若者が一般会社に就職しても会社にとって有用な人材になることは間違いないだろう。

 問題なのは理系が実用的で文系が観念的でクダラナイ、という見識そのものだ。大学が全国に多すぎるというのなら、今日の少子社会を見通した新設大学設置許可をしてこなかった文科省に問題があるのではないだろうか。
 国立大学はかつては貧困家庭の子弟が親から「国立大学なら行かせてやる」という文言を聞かされた同年輩の人も多いのではないだろうか。しかし現在の国立大学の授業料は高額すぎて「国立大学に通ったら、」という文言も親は簡単にはけなくなっている。そうした問題を議論すべきが政府の仕事ではないだろうか。私学を増やして私学助成金をばら撒くだけが文科省の仕事ではないはずだ。

 官僚たちはいい加減利権の増殖に励むのをやめたらどうだ。そして腐り切ったマスメディアの古手たちが「大学教授」との肩書きを私学から頂戴してテレビなどに出るのを恥と思わない厚顔さを憂える。


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