文系学部改廃は何を物語るのか。

<文系学部のある全国の国立大60校のうち、半数近い26校が2016年度以降、文系学部の改廃を計画していることが、各国立大学長を対象にした読売新聞のアンケート調査でわかった。
 教員養成系学部を中心に計1300人以上の募集が停止され、定員の一部を新設学部に振り分けるなどの改革が行われる。国立大の文系に再編の波が押し寄せている実態が浮かび上がった。
 文部科学省は今年6月、大学改革を狙いに、法学部や経済学部などの人文社会科学系と教員養成系の学部・大学院の廃止や他分野への転換を求める通知を出した。アンケートはこれを受け、全国立大86校の学長に7月末現在の学部の改廃計画や通知への受け止めなどを尋ね、81校から回答を得た>(以上「読売新聞」より引用)

 科学技術を重視する社会は実利的な社会のようだが、重視が偏重になると必ず弊害をもたらす。科学技術は必ずしも人類に平和をもたらさない。一面で戦争を大量殺人へとエスカレートさせたのも科学技術だ。
 法律や経済などの学問は社会の仕組みをより良くするための学問だ。哲学や言語学は幅広く「人間」を科学する学問でもある。そうした人間と人間が形成する社会を学問する人材を減少させる時の政権とは一体なんだろうか。

 自然科学は様々な発明や発見により学問した成果が目に見え易いが、人文社会科学はなかなか成果として把握するのは困難だ。しかし、それが不要論に繋がったとしたら由々しき問題だ。
 時恰も「戦争法案」に対して全国の憲法学者のほとんどが「違憲」だとして反対している。それに対する恫喝として安倍自公政権が人文社会科学外部不要論を打ち出したとしたら、時の政権による学問への干渉ではないだろうか。

 自公政権与党の国会議員たちは憲法学者が「違憲」だと指摘している「戦争法案」の成立に向けて迷いなき団結を示している。そのことに対する「懐疑」を抱かない国会議員が衆参の過半数を占めていることに、私はこの国の人文社会科学が社会に生かされていない危険性を強く感じる。
 調査するまでもなく政治家の多くは法学部卒業者だが、彼らはこの国の法体系とそのありようを大学でどのように学んだのだろうか。人が作った社会の有り様を次世代を担う人たちの多くが学ばない社会とはいかなる社会だろうか。それは時の政治権力を握る者の無原則な権力の振り回しに繋がるのではないだろうか。

 現代日本の政治風景は哲学をはじめ人文社会科学を軽視した大学の有り様の結果ではないだろうか。衆参の過半数を占める政治家たちが゛戦争法案」を違憲とも思わず成立に手を貸す。政治家がなぜこれほどまで劣化したのか、それはこの国の人文社会科学の劣化ではないだろうか。
 大学生が議論風発し痛飲して「デカンショ」と叫ばなくなって久しい。日本の若者のエネルギーは何処へ向かっているのだろうか。人としての有り様や社会の有り様を科学しない社会とは一体いかなる社会だろうか。大学が時の政権が思いつきのように発した「人文系学部の縮小を」という号令に唯々諾々と従う大学当局とは一体なんだろうか。そもそもレジャーランドのような駅弁大学が粗製乱造されたが、大学とは一体なんだろうか。根源的な問いかけを、まず私たちは自らにしなければならない。


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