「人生の楽園」という番組がどうしても好きになれない。

 地方に暮らしている者として、田舎万歳、といった番組には胡散臭さを感じてしまう。「人生の楽園」という番組は私が暮らしているような地方の生活を描いているのだが、なぜか好きになれない。
 なぜかと考えたら、そこに夫婦の暮らしと小さな子供たちがいるからだ。子供たちの暮らしはどうなっているのかと、心ならずも心配してしまう。彼ら(彼女ら)の将来を心配せざるを得ない。田舎で進学や勉強環境はどうなっているのか、という疑問が絶えず心に湧き上がってくる。

 子供を取り巻く勉強環境から、人生の楽園で生涯を終えることになるとしたら、そこは人生の地獄かも知れない。子供たちの将来の選択肢を狭めるような環境には諸手を挙げて「素晴らしい」と賛辞を送ることは出来ない。
 親は頭にバンダナを巻いて髭を生やしてイッパシの田舎暮らしを満喫している風情を演じているが、子供たちは親の言いつけに従って家畜の世話をしたり農作業に従事したりしている。それが果たして「楽園」なのだろうか。

 農業は労働生産性の極めて低い産業だ。それのみで生活の糧を得て、更に子供たちを大学に進学させようとすると並大抵のことではない。貧困と過重な労働が子供たちの自由な人生の選択肢を奪ってしまう。
 ただ子育てを終え、定年退職になった夫婦が田舎に移住する、というのなら問題はない。僅かな年金だけで暮らすこともそれほど困難ではないだろう。ただ、持病があったり体が弱い人にとっては田舎暮らしは死期を早めるだけだ。田舎暮らしは「人生の楽園」が謳歌するほど良いこと尽くめではない。

 行政がしっかりとした受け皿を用意しない、独り「人生の楽園」を夢見て田舎へ移住したなら、飛んでもない目に逢わないとも限らない。先日も「蕎麦屋を開業したい」という移住者の話を聞いたが、「損益分岐点はどれほどと考えているのか」「手打ちというが製麺業者から蕎麦を買わないで、一日に何人分の蕎麦が打てると思っているのか」と聞くと、それほど明確な事業計画はお持ちでないようだった。「それならやめた方が良い」と助言するしかなかった。
 田舎に移住して、安易に蕎麦屋を開業して、やっていけると「人生の楽園」を視聴して思ったそうだ。何という罪作りな番組だろうか。体力の衰える老人が一体何年、毎日膝や腰に爆弾を抱えて蕎麦が打てるというのだろうか。そして一日何杯売れば原価が回収できて、何杯売れば利益で夫婦が生活して行けるのか、という事業計画をしっかりと練った上で「田舎暮らし」を実行すべきだ。しかしその場合でも子供たちを巻き添えにしないことだ。


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