建設決定・責任者の誰も責任を取らない、費用を誰も負担しない。

 新国立競技場の建設が当初案で決定したようだ。2500億円という膨大な建設費を投じて2020年のオリンピックの前に行われる何らかの競技に間に合わせるという計画のようだ。
 これほど異論の噴出した建設計画だったにも拘らず、当初案通りというのは納得しかねる。何よりも「キール構造」という橋を陸上に架けるに等しい構造が競技場建設に必要不可欠なのだろうか。そして2500億円という予算も妥当なのだろうか。

 専門家によると2500億円というのはあくまでも机上の見積もりで、実際には3000億円を超えるのではないかといわれている。なにしろ世界でこれほど大規模なキール構造の建造物を建設した経験がないため、どこかの施設の建設費を類似構造の前例として見積もるのが困難だという。
 3000億円かかるとしたら、旧国立競技場のような単純な構造体でも耐用年数は60年に満たなかったわけだから、これほど巨大な陸上の橋を地上に架ける構造で60年もつかどうか解らないが、もったとしても、毎年の減価償却は3000÷60で50億円ということになる。それに維持・管理費を少なく見積もって10億円ほど加えるなら、毎年の経費は60億円となり、年間300日使用したとして施設費だけで毎日2千万円の負担を誰かがしなければ会計的に合わない。

 現実的にそれほど大規模な施設を年間300日も利用することはありえない。せいぜい数十日程度となり、一日当たり使用者が負担すべき施設費は億を超えることは火を見るよりも明らかだ。それでも馬鹿げた「キール構造」の国立競技場を建設することが誇らしい、と考える人たちは自分たちが維持管理費を自分のポケットから出さないからだ。
 この緊縮財政が叫ばれている時代に、これほどの負の遺産を後代に付け回すことが誇らしいことなのだろうか。ピラミッドのような建造物なら千年後の観光資源となるかも知れないが、国立競技場は選手が最上のコンディションで競技出来て、観客が安全に楽しめるなら競技場のデザインに2000億円もかける必要があるのだろうか。極論すれば競技場に巨大テントを張れば良いだけのものではないだろうか。普段はテントを撤去して屋外グランドで何が悪いというのだろうか。

 小役人や無責任な売名建築家たちが無責任な「キール構造」に拘泥して、本来なら数百億円で片付くはずの新国立競技場をバカ高い代物に変貌させてしまった。高々数十年しか持たないコンクリート造りの建造物にこれほどの予算を掛けることは、民間企業では決してありえない。
 だから公共事業で他人のカネで実験すれば良い、というのはバブル当時の発想だ。あるいは総括原価主義という電気事業に携わる者の発想だ。マトモな会計学を学んだ者の発想ではない。この国を破綻させる類のモノの発想に、新国立競技場は呑みこまれようとしている。


このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。