二枚舌を使う者

 本日付(7/31)の読売新聞社説を一読して驚いた。国会審議は「現実的」であれ、と与野党参議院議員を叱咤している。「現実的」である前に、「立憲主義に沿った」議論であるべきだ。「戦争法案」が読売新聞が強弁するように「法的安定性」を犯していないとするなら、なぜ「現実的」な議論を求める必要があるのだろうか。
 問題なのは多くの憲法学者が自衛隊を違憲だとはしていないが、国際平和活動を違憲とすべきものもある、と断じているのは確かだ。なぜなら他国の主権を侵害して侵攻することが「多国籍軍」として国連が容認しようと、それは日本国憲法に定める「国際紛争の解決手段として武力の行使を永遠に放棄する」ことには当たらないからだ。

 自衛隊は国家と国民を守る必要な防衛装置であることは「法的安定性」を確保している。自然人に備わる「正当防衛」と照らし合わせて、国家にも正当防衛の論理は適用されると多くの憲法学者が容認している。現実を見ないでステレオタイプの論評を展開するのはアジ演説と何等変わらない。読売新聞はいつからネトウヨのアジ新聞に成り下がったのだろうか。
 読売新聞の異常さは「そもそも、憲法9条と現実には様々な乖離がある」と書いていることだ。読売新聞が指す「現実」とは自衛隊や国際平和活動のことのようだが、それらが憲法9条と乖離しているとしたら憲法を改正すべきではないだろうか。憲法改正なくして現実と乖離した憲法規定を蔑にした「法的安定性」とはいかにも立憲主義に反する由々しき事態ではないだろうか。

 同じ社説欄の「海自機飛行差し止めは必要か」に到っては読売新聞社の常識すら疑わざるを得ない。厚木騒音訴訟を提訴した地域住民にとって夜間飛行騒音が生活に支障をきたすほど耐え難いものだ、との認識だ。それを国防上日米訓練機が夜間飛び立つのは当たり前だ、という論説は一体誰の利益を擁護しているのか疑わざるを得ない。
 基地周辺に民家のない夜間訓練すべき場所は国内にいくらでもある。何なら離島の一つでも国が買い取って、夜間飛行訓練場にすれば良い話だ。沖縄の馬島なども候補地として最適ではないだろうか。

 国家の司法権を脅かしかねない新聞による批判は適切とはいえない。そこまでして国家権力のイヌになりたいのかと読売新聞社の異常性を憂慮する。
 この国は民主党政権への権力交替からおかしくなっている。小沢一郎氏に対する根拠の極めて薄い検察捜査と針小棒大なプロパガンダ報道の垂れ流しにより、小沢氏という中心柱を失った民主党は権力亡者たちに乗っ取られて第二自民党と化した。そうした動きを強力に演出し支援したのは読売新聞社をはじめとするこの国の腐り切ったマスメディアだ。

 そして今、安倍自公政権は米国に日本の社会インフラから社会制度から何もかもTPPにより投げ売り同前に売り渡し、自衛隊員の命までも熨斗をつけて米軍に差し出そうとしている。これほど酷い日本の姿を我々はかつて見ただろうか。
 ヤクザノ抗争に等しい米・中・露の覇権主義国家同士の「覇権ごっこ」に日本も自ら加わろうとしている。何という馬鹿げたことだろうか。人間の叡智と文明の発展により、そう遠くない未来の地球は再生エネと工業生産化された食糧確保により、戦乱のないすべての民族が共存する国際社会になるだろう。愚かな核兵器により地球上からすべての生命が滅亡しない限り、必ずそうした世界がこの地上に訪れる。また、そうしたことに科学者や政治家たちは腐心すべきだ。

 現在の太陽光パネルのエネルギー交換率ですら、サハラ砂漠に太陽光パネルを敷き詰めれば世界の電力需要は賄えるという。日本政府はチマチマと電力会社の利権擁護のために太陽光発電買取価格を引き下げるのではなく、石油利権と石油輸入から日本を解き放つべく太陽光発電に全力を注ぐべきだ。
 そして世界で唯一水素で回転するロータリーエンジンに日本車を切り替えて、世界に輸出すべきだ。その際、石油メジャーや米国があからさまな嫌がらせや邪魔をするだろうが、一切屈してはならない。再生エネにシフトすべきは地球環境保護のためと同時に、石油利権という世界各地で頻発している戦争要因の一つを潰すことでもある。そして後進国であれ何処であれ、太陽光は平等に降り注ぐ。そうした遠大な観点と構想力を読売新聞社には是非とも持って頂きたい。


このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。