安保条約は憲法に規定する内閣の外交権に基づく条約の一つに過ぎない。

<日本は集団的自衛権を認めてこなかったのか。そんなことはない。実はとっくの昔から認めていた。どういうことかといえば、そもそも日米安保条約は集団的自衛権を前提にしているのだ。最初に結ばれた1951年の条約前文にこうある。

 「日本は主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有し、国連憲章はすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として、日本は日本国内に米国が軍隊を維持することを希望する(要約)」

 1960年に改定された現在の条約も同様に前文で、日米両国が「個別的および集団的自衛の固有の権利」を確認したうえで、日本が米国の基地使用を認めている>(以上「週刊ポスト」より引用)

 上記の引用文は元東京新聞社記者だった長谷川氏が書いた「週刊ポスト」の記事だ。長谷川氏は何か勘違いしているのではないだろうか。日米安保条約に「集団的自衛権」が明記されているから既に集団的自衛権は認められている、というのだ。
 しかし安保条約は憲法に上位にある条約ではない。憲法に規定されている行政権の一部に過ぎず、安保条約が明確に憲法第九条に反しているなら、変えるべきは日米安保条約であって、日本国憲法の「解釈改憲」ではない。そうした簡単な理屈も無視して、安保条約で認めている「集団的自衛権」を周辺事態法で規定している日本の周辺での行使から世界規模に広げても何が問題だというのか、屁理屈を展開している。

 長谷川氏の憲法に対する識見がどのような学問から形成されているのか知らないが、少なくとも彼は憲法学者ではないから、日米安保条約で「集団的自衛権」が認められているから、憲法を「解釈改憲」して安倍自公政権が世界の何処ででも友軍と集団的自衛権を行使しても問題はない、というのは乱暴に過ぎる。
 日本を守るために日本が基地を提供している米軍が日本へ侵攻してくる敵と戦っているのに自衛隊が素知らぬ顔をすることは到底考えられないだろう。それが日米安保条約前文に書かれている「集団的自衛権」容認の話だ。日本の周辺事態に関する、という限定的なものであることは論を俟たない。そうした解り切ったことを新発見ででもあるかのように喚き立てるのは御用評論家の常套手段だ。記者上がりの長谷川氏がそうした理屈を知らないはずがなく、週刊ポストに敢えて「痴呆」のような評論を掲載したのは安倍氏との親交の方を評論家としての良心よりも優先した証だろう。それにより彼は引き続きテレビ出演の機会を確保し、政治評論家として各種マスメディアに寄稿する「権利」を確保したのだろう。私が無報酬で毎日書き続けて貧乏しているのと対極にあるのが長谷川氏たち・御用評論家たちだ。


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